マイナス金利は実体経済の弱さを隠す厚化粧
それが正真正銘のゼロパーセントとなったのは1999年2月12日のことでした。「無担保コールレート(オーバーナイト物)を、できるだけ低めに推移するよう促す。その際、短期金融市場に混乱の生じないよう、その機能の維持に十分配意しつつ、当初0.15%前後を目指し、その後市場の状況を踏まえながら、徐々に一層の低下を促す。」
とされている通り、そして、その発表会見の際に当時の日銀総裁である速水氏が「ゼロでも良い」と発言したことから、市場が驚いたのはもちろんですが、そこからゼロ金利政策なる言葉が市民権を得たとも言えます。中央銀行の金融政策として金利を動かすことが最早不可能となった段階で資金の供給量を増やす量的緩和策が開始されたのですから、ここから異次元の世界に突入したと言えるでしょう。今回にわかに焦点となった付利(08年10月31日から開始)+0.1%が日銀の当座預金には当時ありませんでした。正真正銘としたのはそのためです。
当時の日銀当座預金の管理では、企業などに貸出しをせず、余剰資金を日銀の当座に残せば、金利が0%ですから銀行の収益はゼロ。法定準備預金(預金者が預金を引き出すことを想定して、預金の一定割合の現金を手元に置いておく=日本銀行に預ける=日銀当座預金に残高を残すことが民間銀行には義務付けられています)として定められたギリギリの金額をいかに日銀当座預金に積むかが資金担当に課せられた使命でした。
機会収益を逃すまいと、少しでも高い金利があれば(海外も含め)そちらで運用しようとするのが銀行です。したがって、90年代に法定準備預金で必要とされる以上の金額を日銀の当座預金に積むようなことをすると、決して大袈裟ではなく「無駄金を積みやがって」と資金担当者は罵倒されたものです。現在のように、一金融機関が何千億円も金融機関全体では250兆円もの資金を毎日、日銀当座預金に残すなど当時からすれば隔世の感があるわけですが、この時の無駄なお金という意味合いだけが残り、業界では日銀当座預金に積まれた残高を今でも通称で「ブタ積み」と呼んでいます。
2000年に入ったころには徐々に貸出し先もなくなり、私の在籍していた中規模程度の米系商業銀行でもすでに数百億円単位の金額を0%で積んでいた記憶があります(外資でも在日支店は日銀当座預金を保有します)。つまり、当座預金に金利が付いているから日銀当座預金の残高が積み上がるわけではなく、適当な貸出先が見つからなければ金利が付いてなくても当座預金の残高は増えるということです。
また、これまでの金融政策と全く違うという点で言うなら、2002年9月18日に公表された日銀による株式購入もあげられます。当時も今も先進国で中央銀行による株の買い入れをしているのは日本だけですので、異次元と言えるでしょう(ECBの資産購入もカバード債やABSです)。
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