コラム

安倍版「伝統狂騒曲」が日本の学校に鳴り響く?

2013年03月04日(月)09時00分

今週のコラムニスト:スティーブン・ウォルシュ

[2月26日号掲載]

 日英2つの文化をルーツに持つ子供の親でよかったと思うのは、両方の伝統を楽しみ、大事にしながら子育てができることだ。父親がイギリス人、母親が日本人のうちの子供たちにとって、年末年始は本当に楽しいシーズンだ。本格的なイギリス風クリスマスを祝って七面鳥やミンスパイ(ドライフルーツパイ)を食べ、プレゼントをもらった後、お正月には日本のお年玉も待っているのだから。

 しかし、2つの伝統が矛盾することもある。些細な例だが、日本では麺類をズルズルと音を立てて食べる。私が子供の時にパスタをそんなふうに食べたら、頭をたたかれただろう。2つの伝統が激突するとき、私たちは両方の理由と歴史を話して聞かせ、どんな状況でどちらが適切かを教える。
「バイカルチュラル」な家庭の親は、どちらの文化が学校で重視されているかを知る必要もある。2つの文化が矛盾する場合、両方のルーツと理由を話してやることができれば、子供たちが混乱し、悔しい思いをすることはないはずだ。

 学校教育で伝統を重視するという新しい安倍内閣の姿勢はとても大切だと思う。極端な思想の革命家でもない限り、伝統を重視する姿勢を誰も否定はしないだろう。だがさまざまな伝統のうち、政府がどれを選ぶべきかという疑問は残る。

 イギリスのキツネ狩りがいくら根強い伝統だといっても、現代社会で受け入れられるはずがない。世界は不景気で、自分も年を取ってきたので不安に思うのだが、いくら日本の伝統とはいえ「うば捨て」を学校で教えるべきだと下村博文・文科相には考えてほしくない。

■勤勉と時間厳守は近代化の産物

 伝統は時代とともに変化する。下村文科相は、戦前の輝かしい時代の伝統と戦後の間に線を引きたがっているようだ。しかし、戦後の日本人が伝統的な勤勉さと思いやりを失ったなどというのは現在の豊かで平和な国を築くために献身的に働いた世代を侮辱することになるだろう。

 明治時代に日本の近代化を助けた外国人たちは、日本人が時間にルーズで怠け者だとこぼしていたという。勤勉と時間厳守は日本の伝統ではなく、西洋の資本主義と産業化によって押し付けられたものだった。むしろ日本の伝統は、瞑想や詩歌、自然の賛美だったはずだ。

 伝統芸術は既に日本の学校で重視されているが、伝統音楽にはもっと時間を割いてほしい。音楽の趣味に限って言えば、下村文科相の「戦後衰退論」に私も賛成だ。戦後アメリカのマーチングバンドやポップスが盛んになったことは、日本の若者に大打撃を与えたと思う。それは私が「ミッキーマウス・マーチ」が嫌いだからというだけではない。

 東京のある有名中学校のオープンスクールに参加したところ、音楽クイズの一環として美しい琴の演奏が披露された。私の後ろにいた日本人の子供はそれが何の音か分からなかっただけでなく、そもそも琴という楽器を知らなかった。

 もう1つ心配なことを思い出した。新内閣には何人もロック好きがいるらしい。なかでも山本一太沖縄・北方担当相と林芳正農水相の演奏はイギリスのテレビでも紹介された(決して好意的ではなかったが)。彼らのような閣僚が自分の育った時代の音楽を「伝統」と考えたら大変だ。中年男たちがジーンズをはき、高価なギターを振り回してビートルズのお決まりのナンバーを演奏する。伝統音楽の支持派として私は、そういうおやじバンドを「伝統」として保存することには断固反対したいものだ。

 ちょっと心配のし過ぎかもしれない。少なくとも彼ら政治家は、政治の世界の伝統には忠実だ。その伝統とは「大して意味のないことを大げさに言う」こと。この伝統に関しては、わが家の子供たちは何の矛盾も混乱も感じない。日本にもイギリスにも共通の伝統だからだ。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国・EUの通商トップが会談、公平な競争条件を協議

ワールド

ミャンマー地震の死者1000人超に、タイの崩壊ビル

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 5
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 6
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 9
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story