コラム

夏の東京を二分する冷房をめぐる熱き攻防

2012年10月09日(火)09時00分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔10月3日号掲載〕

 夏になると東京は2つに分裂する。そのまま夏が終わるまで元に戻らない。この大分裂は経済でも政治でも地理でも社会でもなく、温度の違いによるものだ。6月頃から、東京の街は震えるほど寒い所と、頭がぼうっとするくらい暑い所の真っ二つに分かれる。

 世界の都市はどこも暑さ対策を取るが、東京は間違いなく世界のどこよりも多くの場所で冷房が効いている。まるで建物の内と外ではまったく別の季節のようだ。アメリカの都市は車中心、イタリアの都市は教会中心にできているが、東京は冷房を都市の基本原理として設計されているように思える。

 東京に来たばかりの頃は、ごく普通の夏の一日に気温が激しく変化するのはアジア流健康法の一種だろうかと思った。やけどしそうに熱い温泉に漬かった後で水風呂に入るようなもの。冷え切った店内と、汗の噴き出る歩道を行ったり来たりすると血行が良くなるのかな、と。

 じきに気付いたのだが、暑い東京はどうもきまりが悪い。みんな汗で肌に張り付く服をつまみ上げ、変てこりんな小さいタオルで顔を拭う。だから周囲に失礼にならないよう、冷房の設定温度をものすごく低くしているのかもしれない。

 実のところ季節は2つだけじゃない。夏の通勤は世界の気候帯巡りのようなもの。自宅は「温帯」、自転車で駅まで向かう間は「熱帯」、通勤電車の中は「亜寒帯」、駅から大学まではまた「熱帯」で、教室の中は「寒帯」(狭い講義室は冷房でキンキンに冷えている)か「亜熱帯」(講堂だと蒸し暑い)だ。

 夏の東京では、天気予報は屋内版と屋外版の2種類必要だ。屋内版ではデパートや地下鉄や喫茶店などの平均的冷え具合を知らせる。デジタル地図には交通情報のように温度情報も表示し、どうすれば外の暑さを避けて目的地まで移動できるか分かるようにする。そんな地図があれば、夏の間は一歩も外に出ない東京人が多くなるかもしれない。

■「快適な涼しさ」には個人差が

 同じ日本人同士、心は1つだと日本人は言うが、気温となると話は別。学生が冷房を入れると私が切る。私が入れると学生が切る。服の着込み具合も人によって違う。椅子取りゲーム同様、快適ゾーンに入れない人間が必ず出る。

 夏の「気温隔離」はいつも私にこの街の本質について考えさせる。人工的に管理された涼しい空間と自然のままの蒸し暑い空間──どちらが本当の東京なのか。私の反応は日によって違う。夏は蒸し風呂のようになる場所に世界の主要都市をつくるなんてどうかしていると思う日もあれば、甘んじて暑さを受け入れる日もある(たいていビールの助けを借りて)。

 夏の寒い空間なんて最も人工的なはずだが、おかしなことに最も自然に思えてくる。人が本当に自然体でいられるのは、不自然なくらい快適なときだけなのだろうか。東京人は人混みや物価の高さや長距離通勤や狭い居住空間には我慢できても、どういうわけか、「標準」からあまりにも懸け離れた暑さの中で買い物をすることには耐えられないようだ。

 屋内の快適な涼しさの追求は一大プロジェクトだ。東京は川の流れを変え、重力に逆らって摩天楼を建築するだけでなく、空気までも人間にとって快適な温度に変えたがる。いっそ街全体をドームで覆って丸ごと冷房すればいいのに──そんな思いが時折私の脳裏をよぎる。

 昨年夏に節電キャンペーンが始まり、東京人は冷房のない夏の生活に慣れるのが大変だったかもしれない。それでも夏の終わりに外の気温が下がって、街の冷房設備がひと息つく日(「気温版・秋分の日」だ)はほっとする。東京人に天候以外のことも考える余裕ができ、東京の街がバランスを取り戻して再び1つになった感じがする。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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