コラム

マンU香川が生むアジア人新時代

2012年07月17日(火)12時59分

今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク

〔7月11日号掲載〕

 10年前の夏の興奮を覚えているだろうか? 渋谷や六本木では革命に勝利でもしたかのように市民が街にあふれ出し、見知らぬ人たちとハイタッチを行った。そして、僕は本誌に「広末涼子は日韓共催の女神」というコラムを書き、韓国のスタジアムで韓国代表の勝利の瞬間、見知らぬ日本人と抱き合った。

 あのサッカーワールドカップ(W杯)日韓共催からちょうど10年、香川真司の英プレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)への移籍が決まった。僕はこの出来事を心より祝福する。

 経済的には「失われた20年」という重苦しい霧がいまだ日本を覆っているが、サッカーだけはこの20年、自己変革とたゆまぬ努力を通じて確実に飛躍を遂げてきた。昨年「なでしこジャパン」がW杯を制し、この8月からは伝説の赤いユニホームをまとった日本の若武者の雄姿を見ることができる。また香川の移籍は、日韓関係やアジアの国際関係の観点からみても興味深い論点を提示してくれる。

 第一に、僕が以前から強調している日韓のコラボという側面だ。香川のドルトムントでの実績は確かに目を見張るものがあった。だが、だからといって世界最高峰のチームへの移籍がスムーズにかなうほど甘くはない。やはり、そこにはアジアの「先輩」こと朴智星(パク・チソン)の存在がある。

 この夏にマンUで8シーズン目を迎え、これまで2度もUEFAチャンピオンズリーグの決勝でスタメンに起用された朴の実績と存在があるからこそ、イギリスから見れば同じ「極東」の選手を獲得することに踏み切れたといえよう。もちろん、その朴の攻撃の才能を開花させたのはJリーグの京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)にほかならない。朴もまた、ヨーロッパの舞台でアジア人選手への信頼を不動のものにした中田英寿に感謝すべきだろう。

 第二に、これらが日韓W杯から始まったことを想起したい。共催という政治的決断により日韓の新たな歴史を切り開いたからこそ、いま僕たちは日本人と韓国人がマンUでチームメイトになる歴史的瞬間を目撃することができるのである(編集部注:朴は7月9日にプレミアリーグ、クイーンズ・パーク・レンジャーズへの移籍を発表)。

■「韓国は嫌いだけど朴は好き」

 第三は、これがナショナリズムの亀裂に向けての実験になるということだ。ちまたの「せこいナショナリズム」は、香川と朴を比較して優劣を付けたがる。だが、同じチームである以上、マンU移籍が韓国人あるいは日本人だけの優秀さを示す根拠には成り得ない。日本か韓国かというゼロサムではなく、日本も韓国もマンUの一員になれた、そこでアジア人の力を見せてほしいという「アジア人」意識を持てるかが試されるのだ。

 日本では「韓国は嫌いだけど朴智星は好き」という趣旨のネットの書き込みをよく目にする。Jリーグ出身で流暢な日本語を操り、憧れのマンUで活躍する朴は「嫌韓派」にも亀裂をもたらしている。

 今度は香川が韓国人に亀裂を与えることを期待したい。韓国のマンUファンは、朴がいなくなっても香川の活躍するマンUを応援し続けられるだろうか。朴への敬意と親近感を示し、気負いのない軽やかさと爽やかさを持つ香川なら、きっと韓国人の対日認識に肯定的な影響を与えるだろう。朴と香川はどこか似ている。ナショナル・アイデンティティーにこだわることなく、常にマイペースで謙虚で意気込んでもおらず、変な悲壮感もない。

 香川に期待したいのは、朴の「蚊(モスキート)」と呼ばれる運動量や自己犠牲、謙虚さといった控えめな「アジア性」による成功ではなく、その殻を打ち破る活躍だ。技術と攻撃力でチームの主軸になる姿を見せてほしい。エースのウェイン・ルーニーが相手でもボールを譲らず、貪欲にシュートを放ってほしい。遠慮などせず、アジア人が世界の舞台で主役として輝くことを心から願う。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も

ワールド

米加首脳が電話会談、トランプ氏「生産的」 カーニー

ワールド

鉱物協定巡る米の要求に変化、判断は時期尚早=ゼレン
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 6
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 9
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 9
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 10
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story