コラム
酒井啓子中東徒然日記
9-11から10年:世代交替で見落とされてはいけないもの
10年という節目に、何か科学的な根拠があるわけではない。
とはいえ大学一年生と話していると、10年前にはまだ小学校低学年で、10年前の9月11日に起きた「たいへんなこと」にはさほど衝撃を受けなかった、と聞くと、こちらが衝撃をうける。むしろ「親が動揺してた」という彼らの記憶は、まさに「9-11から10年」という今を考える上で、世代交替が鍵となることを示している。
9-11事件の直接の引き金と、その後の国際政治の中心的シンボルが「ビン・ラーディン」だとすれば、それが象徴するものは今年前半の「アラブの春」の登場によって舞台から去った。私自身、以前のコラムや拙著でも書いたが、東京新聞記者の田原牧氏が最新出版した「中東民衆革命の真実」(集英社新書)は、そのあたりを見事に表現していて、大喝采だ。
つまり、9-11によって国際政治の主役に躍り出たアルカーイダとネオコンは「大衆を信じない前衛を自負」して「大きな物語を抱いていた」が、「稚拙な情勢の読み間違い」や民衆の「流血の痛み」によって、「大きな物語」は霞んでいく。彼らが舞台から去り、代わりに「アラブの春」で登場したのは、チャラけた「アナーキーな楽天主義者」の坊ちゃん嬢ちゃんたち。しかし、彼らが掲げたのは「別の物語ではなく、倫理という普遍的な価値」だった。それが、対テロ戦争の時代から日常世界の政治に世界を引き戻したのである。
日常世界の政治に戻る、ということは、大国相手に蟷螂の斧振り立てる輩が減った、ということだ。アラブ諸国ではそれは自国の政権、社会に向いた。だが、先進国では最近、「日常のなかの敵」を探し出して攻撃する、という流れが見られる。7月にノルウェーで起きた極右の反イスラーム移民主義者の銃乱射事件がその象徴だ。
ヨーロッパの保守右傾化、非寛容傾向は、ここ数年強まっている。それぞれの国の社会経済的な問題が背景にあるが、それが消えたはずの大きな物語、「文明の衝突」と繋がるかもしれないのが、ムスリム(イスラーム教徒)移民社会の存在である。中東に派兵して戦争をする「対テロ戦争」時代から、内なる敵への排外主義の時代に変化しつつある。
そう考えると、9-11とその後の「対テロ戦争」が抱えた問題は、実は変わっていない。9-11後の10年間、派手なボスキャラが空中戦を繰り返してきたおかげで、逆に、なぜ9-11が起きたのか、それが何故世界中に「文明の衝突」的な価値観を蔓延することになったのか、きちんと解明されないまま、見過ごされてしまった。
そう、主人公が交替したことで安心してはいけない。9-11とは何か。改めて、総合的な分析が必要ではないか。
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