- HOME
- コラム
- フォトグラファーGのフォトブログ
- 同じ戦地を取材する愚かさ
コラム
ゲイリー・ナイトフォトグラファーGのフォトブログ
同じ戦地を取材する愚かさ
フェースブックに寄せられたメッセージに返事を書き終えたところで、後藤由美(リマインダーズ・プロジェクト代表)のコメントが目に留まった。こと写真に関する由美のコメントはいつも素晴らしいから、注意して読むようにしている。
この日はニューヨーク・タイムズ紙の記者チームがアフガニスタンで撮影した映像にリンクが張ってあった。
この映像そのものに特筆すべきものはない。よくも悪くもない。まっとうなジャーナリズムだが、腹が満たされる「食事」というよりは、つまみぐいの「スナック」といった内容だ。
私の目を引いたのは映像そのものではなく、撮影地だった。コレンガル渓谷はアフガニスタン北東部の僻地。2年ほど前に数名のジャーナリストがこの地を訪れ、タリバンと占領軍の間で綱渡りをしながら生きる村人と、数名のアメリカ軍兵士を取材。危うい現実を浮かび上がらせた報道が高く評価された。
以来、マスコミが押し寄せ、同じ話を繰り返し伝えている。なぜ、こういうことになるのだろう。
アフガニスタンの複雑な内情をとらえたいのか。そうだとしても、すでに優れた報道のあるネタを焼き直す必要があるだろうか。別の場所を取材したほうがずっと有意義だろう。そうすることで、コレンガルの事情が特殊なのかそうでないのかがわかれば、私たちも勉強になる。
記者の関心を他の場所からそらすために、米軍の広報があえて同じ兵士たちを取材させているのだろうか。もしそうならば、真実が語られるべきだ。
あるいは記者が2匹目のドジョウを狙ったのか。だが、記者の何人かを知る私に言わせれば、それは考えにくい。彼らは自信のなさから他人の仕事を真似るほど、ヤワな記者ではない。
いずれにせよ、コレンガル渓谷はリアリティー番組の様相を呈し始めた。私たちはアフガニスタンについて、もっと知る権利がある。さほど重要でもない辺鄙な谷の話を繰り返し聞かされるのは、もううんざりだ。
記者たちが安易に押しかけるようになったコレンガルは、もはやジャーナリストの役には立たない。
この筆者のコラム
信念の写真家キャパの「置き土産」 2010.12.07
修整の是非より写真の「誠実さ」を問え 2010.10.20
フォトジャーナリスト アレックス・ブラーを惜しんで 2010.07.27
想像を絶した私の戦争「初体験」【後編】 2010.04.07
想像を絶した私の戦争「初体験」【前編】 2010.03.31
世界報道写真コンテスト:「今年最高の一枚」など存在しない 2010.02.23
ハイチ取材に食指が動かない理由 2010.01.19