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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
尖閣ビデオはメディアの歴史の転換点
神戸海上保安部の海上保安官が尖閣諸島のビデオをYouTubeから流した事件は、外交から司法までさまざまな分野に波紋を投げかけたが、メディア業界にも大きなショックを与えた。先週、ある放送業界のシンポジウムに出席したが、ちょうど海上保安官が警察に出頭した翌日だったので、話はそれに集中した。
シンポジウムに出席したのは民放の在京キー局の報道局長クラスだったが、全員ショックを受けていたのは、あのビデオがテレビではなくYouTubeに流されたことだった。今までだったら、公務員が内部告発しようと思ったら、テレビ局にビデオを持ち込むだろう。しかし今回は、それを考えた形跡もない。ある局の幹部は、こう言った。
「テレビ局に持ち込んでも、流してくれないと思ったから、YouTubeに流したのだろう。たしかに持ち込まれても、放送できるかどうかはわからない。現場は絶対に流すというだろうが、これは明白な国家公務員法違反だ。『コンプライアンス』にうるさくなった法務部が、OKするだろうか」
司会者が引き合いに出したのは、1972年の西山事件だった。これは沖縄返還に際して基地の移転費用の一部を日本側が負担する密約を毎日新聞の西山太吉記者が暴いた事件だが、彼が外務省の審議官の秘書と「情を通じて」国家機密を漏洩させたとして、記者も国家公務員法違反で逮捕され、最高裁まで争われた結果、被告が敗訴した。これによって日本では、機密漏洩についてはメディアも刑事責任を問われるという判例ができてしまった。
他方アメリカでは、ペンタゴン・ペーパー(国防総省のベトナム戦争についての機密書類)事件やウォーターゲート事件で、メディアが免責される判例ができた。しかし日本では西山事件以降、国家機密をメディアが独自に暴く事件はなくなった。しかし別の局のキャスターは、
「あのビデオを持ち込まれて流せないようなら、もうテレビは終わりだ。テレビ局なんて会社としては大した規模じゃないが、報道としては日本の1割ぐらいの影響がある。報道は経営よりはるかに大きいんだ」
と言った。別の局の幹部は、正直にこう言った。
「私も流すしかないと思うが、外交問題になるのは必至なので、免許の認可権をもっている政府と対決して闘えるかどうか・・・。系列の新聞と一緒にやるかもしれない」
各局の幹部が一様に語っていたのは、テレビがもう一次情報を独占するメディアではないということだ。事件があると、まずテレビが現場へ行って中継し、新聞が書いて雑誌が論評する・・・というメディアの「食物連鎖」を、今回の事件は壊してしまった。一般人が、いきなり全世界に向けて大スクープを飛ばせる時代になってしまったのだ。
今まで大手メディアは、電波や輪転機というインフラを独占して利潤を上げてきた。90年代にそのボトルネックがインターネットによって破壊されたとき、今のような時代が来ることは必然だったが、新しいメディアが古いメディアを超えるのは意外に遅い。それは古いメディアが、記者クラブや著作権などの情報のボトルネックを作り出しているからだ。しかし今回の事件は、こうした情報統制もきかないことを示した。
ではジャーナリストにはもう存在価値はないのだろうか。私はそうは思わない。インフラ独占には意味がないが、情報の中身で競争する時代が来るだろう。私の運営しているウェブサイト「アゴラ」にはいろいろな人から投稿が来るが、文章を書いて生活しているプロの投稿とアマの投稿には、歴然とした質の差がある。「読ませる文章」を書ける人は、会社がなくなっても電子出版などによって独力でで生きていけるだろう。
他方、メディアで働いている人の大部分は、他人の取材した文章を直したり映像を編集したりする仕事だが、そういう人はプロデューサーとしてメディアを経営する側に回ればよい。今の会社にしがみついていても未来はないし、年を取るとつぶしがきかなくなる。今回の事件は、重要な情報さえもっていれば、何もインフラをもっていなくても世界を動かせることを示した。その意味で、メディアの歴史に残る出来事になるだろう。
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