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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
新たな「近隣窮乏化競争」が始まった
聖書に「汝の隣人を愛せ」(love thy neighbor)という言葉があるが、通商問題では「汝の隣人を貧しくせよ」という言葉が使われる。1930年代の大恐慌のとき、アメリカは自国の産業を国際競争から保護するため、スムート=ホーリー法によって輸入品に高い関税をかけた。これに対抗して各国も保護主義に走って貿易制限を行なったため、世界の貿易額はほぼ半減し、大恐慌が長期化する原因となった。このような政策を近隣窮乏化(beggar thy neighbor)と呼ぶ。
きょうから始まったG20(20ヶ国首脳会合)で最大のテーマになっているのは、この近隣窮乏化政策である。といっても、今回の焦点は貿易や関税ではなく通貨である。日本は急速な円高に直面して、大規模な為替介入を行ない、日本銀行は「包括緩和」と銘打って、投資信託や不動産まで買う積極的な金融政策をとった。
他方、アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)は向こう8ヶ月で6000億ドルにのぼる米国債を購入する追加金融緩和を決め、その余剰資金が新興国にあふれてバブルを引き起こす懸念が強まっている。特に国際商品先物指数が年初から30%近く上がるなど、投機資金が実物資産や新興国の通貨に流れ込んでいる。ブラジルのマンテガ財務相は、「ブラジルは国際通貨戦争に巻き込まれている」と述べてFRBなどの金融緩和を牽制し、欧州諸国もアメリカの追加緩和を「中国と同じ近隣窮乏化策だ」と批判し始めた。
これは2003年ごろの日本と似ている。当時、円高対策として財務省は、10ヶ月で35兆円の円売り・ドル買い介入を行なった。日銀もこれにあわせて量的緩和を行ない、政策金利はゼロに張り付いた。この結果、コストの安い円資金を借りて米ドル建ての債券に投資する「円キャリー取引」が流行した。日本の金利が上がるリスクがないため、これは素人でももうかるといわれ、「FXブーム」にわいた。大挙して為替市場に参入した日本の個人投資家は、市場では「ミセス・ワタナベ」と呼ばれ、小口で大量の資金が主としてアメリカの住宅債券の資金となった。
その結果、何が起きたかは周知の事実である。ミセス・ワタナベの買ったサブプライムローンはアメリカの住宅バブルの火に油を注ぎ、2008年の破局の原因となった。そしてリーマン・ショック後、キャリー取引の巻き戻しによって円高が起き、輸出企業が大きなダメージを受けた。円キャリーの規模は1兆ドル以上といわれ、日銀も「日本の余剰資金がアメリカのバブルの一因になった可能性は否定できない」(山口副総裁)と認めた。
ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授)も指摘するように、このような通貨競争によって利益を得られるというのは、かつての保護貿易と同じ錯覚である。自国通貨だけが下がればいいが、それに対抗して他の国も通貨を引き下げると、余った資金はどこかに流れこんでバブルをもたらし、いずれは崩壊する。2008年にはそれはアメリカだったが、今度は新興国のどこかだろう。
これはゲーム理論でよく知られている「囚人のジレンマ」で、各国が自分の利益を最大化しようと行動する結果、バブルとその崩壊で最悪の結果が起こる。本来は基軸通貨であるドルをもつアメリカが各国を協調させる役割で、ちょっと前までは中国の人民元の切り上げを強く求めていた。ところが今ではアメリカ自身が非難の的になり、通貨戦争に歯止めがきかなくなった。
保護貿易より通貨戦争のほうが厄介なのは、バブルが起こっているかどうかがわからないからだ。中国もブラジルも、バブルだといわれ続けながら大きな破綻は起こらずに成長してきた。バブルはあす崩壊するかもしれないが、何も起こらないかもしれない。1930年代の貿易戦争は、最終的には第2次世界大戦をもたらした。今度の通貨戦争がそういう結果になるとは思えないが、少なくとも日銀はこれ以上の金融緩和はやめたほうがいいだろう。
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