コラム

マスコミの「刑事事件バイアス」が経済を委縮させる

2010年09月16日(木)17時46分

 民主党の代表選挙は菅首相の意外な圧勝に終わったが、その原因として新聞・テレビの影響をあげる人が多い。朝日新聞から産経新聞までそろって小沢氏の出馬そのものを否定するかのような論調で、世論調査でも菅氏を支持する人が60%を超えた。結果的には、民主党の党員・サポーター票でも、菅氏が8割以上を占めた。これは彼らが菅氏を選んだというよりは、マスコミが毎日報道する「政治とカネ」の疑惑をきらったためだろう。

 小沢氏に疑惑があることは事実だが、今のところはっきりしているのは政治資金収支報告書の虚偽記載に秘書が関与したことだけで、政界ではありふれた事件である。検察審査会によって強制起訴されたとしても、贈収賄のような大事件に発展する可能性はない。検察が政治家の疑惑を捜査するのは当然であり、これを「国策捜査」などと非難するのは当たらないが、異常なのは、候補者の政策そっちのけで金銭スキャンダルばかり糾弾するマスコミ(特にテレビ)である。

 このようにマスコミの報道が刑事事件に集中するバイアスは、最近ことに強まった。かつてはリクルート事件のように、警察が立件を断念した事件を新聞が独自に取材して報道したこともあるが、最近はほとんどない。独自の判断で犯人扱いすると、名誉棄損で訴訟を起こされるからだ。かつては司法は報道には寛大だったが、三浦和義が起こした膨大な名誉棄損訴訟で8割以上、勝訴してから、有罪が確定するまでは犯罪者扱いすると名誉棄損になるという判例が確立してしまった。

 刑事裁判の原則は推定無罪だから、これは建前としては正しいのだが、こうした自主規制が極端になると、独自に犯罪を追及しても警察が立件しないと書けないし、立件しそうにない事件は最初から取材するのは無駄だということになる。さらに記者が書こうとしても、法務部が許さない。これは「コンプライアンス」といえば聞こえはいいが、メディアが官僚化して事なかれ主義になっただけである。訴訟のゴタゴタに巻き込まれることが恐いので、捜査当局に責任を転嫁できる場合しか報道しないのだ。

 その結果、調査報道が減り、逆に当局の立件した事件に報道が集中するようになった。特にライブドアや村上ファンドの事件以降、経済事件に検察が介入するようになってから、特定の企業や経営者を犯罪者として指弾する過剰報道が強まった。日本振興銀行の事件でも、逮捕された容疑は検査妨害(電子メールの削除)だけなのに、事実関係がほとんどわからない段階で木村剛元会長を極悪人よばわりする。振興銀の不良債権や不正経理の規模は、90年代にメガバンクのやった不正よりはるかにスケールが小さいが、それは破綻した長銀や日債銀など以外はほとんど報道されなかった。刑事事件にならなかったからだ。

 このように実質的な悪質性よりも、法令違反になるかどうかでマスコミの扱いがまったく違うので、企業は自衛のために、少しでも違法の疑いがあると自主規制する。たとえば検索エンジンは国内では違法になるという話があったが、これもそういう判決が出たわけではなく、企業の法務部が止めただけだ。個人情報保護法についても、実際に違法とされたケースはほとんどないのに、住宅地図から個人名は消えてしまった。特に厳重なのが企業会計で、あらゆる支払いに文書を残すことが要求されるようになり、経理担当者は膨大な文書の山に埋もれている。

 人命が失われるような事件とは違い、経済事件はしょせん金の話である。不当な損害をこうむった人は、民事訴訟で損害賠償させることができる。それを規制でがんじがらめにすると、企業が過剰防衛して「コンプライアンス不況」になる。まして刑事訴追されて社会的生命を失うおそれがあるとなると、未知のリスクのある事業に挑戦する人はいなくなるだろう。捜査当局は経済事件への介入を自制し、メディアも当局に依存した過剰報道を改め、自分の責任でニュース価値を判断すべきだ。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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