コラム

「国家戦略局」がつぶされた本当の理由

2010年07月22日(木)18時52分

 菅首相が国家戦略室を国家戦略局にする法案の国会提出をあきらめ、法的権限のない「知恵袋」に格下げするという決定は、(おそらく首相の予想以上に)大きな波紋を呼んだ。国家戦略局の法案を書いた、鳩山内閣の官房副長官、松井孝治氏が菅首相に直談判し、それをツイッターで「同時中継」したことも話題になった。

 首相が今回の決定の理由を「国会で戦略局を創設する法案が成立する見通しがなくなった」と説明しているのはおかしい。参議院で通らないという意味なら、自民党などが明確に反対を表明している郵政改革法案や子ども手当のほうを先に手直ししなければならないはずだ。国家戦略局に反対を表明している野党はなく、みんなの党などは「内閣予算局」という民主党より強い政策を公約に掲げている。本当の理由は他にあるのではないか。

 日本の予算編成は財務省の主計局で行なわれているが、予算は政府の基本方針なので内閣が編成すべきだという議論は自民党政権の時代からあり、橋本内閣の省庁再編のとき予算の基本方針などを調査審議する首相直属の組織として経済財政諮問会議の創設が決まった。これはアメリカの大統領経済諮問委員会(CEA)をモデルとし、経済学者などの専門家を議員として政府に助言する機関だった。

 小泉内閣で経済財政担当相になった竹中平蔵氏は、諮問会議を最大限に活用した。民間議員に経済学者を入れ、毎年6月に「骨太の方針」を出して内閣としての方向性を打ち出し、公共事業や福祉予算の抑制を打ち出した。小泉首相は議長としてすべての諮問会議に出席し、「官邸主導」で予算編成を行なった。しかし小泉首相の官邸主導は、あまりにも彼の個人的な「名人芸」に依存していたため、彼の退陣後は諮問会議は形骸化し、「調査審議」する機関に戻ってしまった。

 これに対して民主党は昨年の総選挙で、官邸主導を制度化するため国家戦略局を創設することをマニフェストの柱に掲げた。政権交代後は菅副総理が国家戦略室担当相になり、国家戦略局を設立する法案が成立したら正式に発足する運びだった。その政治主導確立法案では、国家戦略局は「予算編成の基本方針の企画及び立案並びに総合調整」を行なうことになっており、「調査審議する」だけの経済財政諮問会議より強い権限をもつ予定だった。

 しかし昨年秋の臨時国会では、法案はできていたのに国会提出が見送られた。概算要求が大幅に遅れて日程が狂ったのが原因といわれるが、これが失敗だった。国家戦略室には法的権限がないため、予算編成では藤井蔵相(当時)が「予算は財務省の仕事だ」として戦略室にタッチさせなかった。通常国会でも、政治主導確立法案は時間切れで継続審議になった。

 こうした状況を合わせ考えると、今回のシナリオを書いたのは首相ではなく、もっと強い「見えない力」が働いたと考えざるをえない。それはかつて諮問会議をただの有識者会議に戻したのと同じ力――財務省と霞ヶ関の既得権である。

 予算編成を政治主導で行ないたいというのは、政治家の「見果てぬ夢」だが、財務官僚は金を使うのが好きな政治家にまかせたら財政が破綻すると思っているので、あらゆる手をつくして予算編成権を政治家の手から守ってきた。今回も、財務相だった菅氏を「教育」する時間はたっぷりあった。菅氏も消費税騒動で、財務官僚の応援なしに突っ走ると痛い目にあうことを実感したのだろう。

 もちろん財務省にまかせているとシーリングのような一律削減しかできず、各官庁の既得権は温存される。しかし霞ヶ関という岩盤の最深部にある予算編成権という聖域に手をつけるには、民主党政権はあまりも弱体だった。これを変えるには、憲法を改正するぐらいの強い政治力が必要だ。次善の策として、法的には生きている経済財政諮問会議を復活させて、予算の「調査審議」だけでもやってはどうだろうか。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:トランプ関税でナイキなどスポーツ用品会社

ビジネス

中国自動車ショー、開催権巡り政府スポンサー対立 出

ビジネス

午後3時のドルは149円後半へ小幅高、米相互関税警

ワールド

米プリンストン大への政府助成金停止、反ユダヤ主義調
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 9
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 10
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story