コラム

「デフレ先進国」日本が欧米に教えられること

2010年07月15日(木)12時44分

 菅首相の消費税発言がぶれて、民主党は参院選で大敗した。増税をいかにも付け焼き刃で持ち出した首相のやり方はお粗末だったが、IMF(国際通貨基金)も提言したように増税が避けられないことは事実である。首相が財政再建に目ざめたのは、G20でギリシャの状況を知ったことがきっかけだったという。日本がギリシャのようになるという懸念は大げさだが、G20ではデフレと財政再建の問題が大論争になった。

 その論争をみると、日本の10年前とよく似ている。最大の争点は、巨額の財政赤字を抱えて財政再建を優先しようとする欧州諸国と、経済の回復を優先して財政支出を続けようとするアメリカの対立だった。結果的には欧州の意見が通り、2013年までに財政赤字を少なくとも半減させるという首脳宣言を出したが、日本はその例外になった。

 10年前にも、財政出動によって景気を回復させようとした小渕内閣以降の政策が失敗したあと、緊縮財政を掲げた小泉内閣が発足した。このときも「不況で緊縮財政にするのは非常識だ」という批判があったが、構造改革によって成長率は上がり、失業率は下がった。その結果、2006年までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字は22兆円減った。財政再建のためには、成長がもっとも重要なのだ。

 他方、デフレが進行していることも先進国に共通の悩みだ。これに対して一部の経済学者が「インフレ目標」を持ち出すのも日本と似てきたが、政策担当者には相手にされていない。日本が大規模な量的緩和の「実験」を行なった結果、あまり効果はなく弊害が大きいということが世界の中央銀行の常識になったからだ。

 通常はデフレを是正するためには、政策金利を下げればよいが、ゼロ金利になってしまうと、それ以上は金利を下げられない。これ以上緩和するには、かつての日銀のように通貨を大量に供給してインフレ予想を作り出す政策が考えられるが、もともと資金需要がないのだから、いくら通貨を供給しても市中にお金が回らない。日銀の量的緩和で通貨供給(マネタリーベース)は2倍以上に増えたが、市中に出回る通貨(マネーストック)はほとんど増えず、デフレも止まらなかった。

 金利がゼロに張りついた流動性の罠のもとでは、ケインズも指摘したように財政政策のほうが有効である。政府は金利水準に関係なく、資金需要を増やすことができるからだ。しかしその効果は一時的で、財政支出が終わったら元に戻ってしまう。成長率を引き上げるには、民間の経済活動が自律的に活発化する必要がある。しかし日本のように財政赤字がふくらんでいると、財政支出の増大は将来の増税に直結することを国民が知っているから消費が増えず、企業も投資を控える。

 特に企業が貯蓄超過になっていることが、デフレの最大の原因だ。企業は投資(赤字)によって経済を拡大する部門なので、そこが貯蓄していては成長するはずがない。これは日本では90年代後半から始まったが、欧米でも同じ現象が見られるようになった。今年の第1四半期にアメリカの企業支出は所得よりGDP比で0.8%少なくなり、昨年イギリスの企業はGDP比で8%の貯蓄超過になった。EU諸国の平均でも、企業の貯蓄と投資はほぼプラスマイナスゼロである。

 欧米諸国の現状は、90年代前半の日本と似ている。バブル期に銀行借り入れで不動産投資などを行なった企業が、バブル崩壊で担保割れになった借金の返済に回ったため、返済が借り入れを上回ってネットでは貯蓄になったわけだ。日本はこうした債務デフレの局面からは小泉内閣の不良債権処理で脱却したが、その後も立ち直れない。これは企業の新陳代謝が進まないことや、中国などからの輸入物価の低下圧力が強まっていることなど多くの要因が複合しており、簡単な処方箋はない。

 根本的な問題は、経済の見通しが暗いため企業が投資に慎重になっていることなので、一時的な財政政策や金融政策の効果は限定的である。菅首相の「増税で成長」とか、みんなの党の「インフレ目標ですべて解決」などという呪術的な経済学に頼るべきではない。欧米諸国はまだ一時的な債務デフレの状態だが、日本のように構造改革を怠って古い企業を延命すると、長期停滞に陥るだろう。それが日本の最大の教訓である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米との鉱物資源協定、週内署名は「絶対ない」=ウクラ

ワールド

ロシア、キーウ攻撃に北朝鮮製ミサイル使用の可能性=

ワールド

トランプ氏「米中が24日朝に会合」、関税巡り 中国

ビジネス

米3月耐久財受注9.2%増、予想上回る 民間航空機
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは?【最新研究】
  • 2
    日本の10代女子の多くが「子どもは欲しくない」と考えるのはなぜか
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 5
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    「地球外生命体の最強証拠」? 惑星K2-18bで発見「生…
  • 8
    謎に包まれた7世紀の古戦場...正確な場所を突き止め…
  • 9
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 10
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 9
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 10
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story