コラム

薄煕来公判は始まりなのか、終わりなのか

2013年08月31日(土)06時07分

 最近の中国はなんだか重い話題ばかりで気が滅入ってしまう。そんな中、元重慶市党委員会書記の薄煕来に対する汚職容疑の公判で、彼の口から夫人の不倫話や手下の横恋慕など思わぬ話題を飛び出してネットを沸かせたのが先週末。だが、終わってしまえばみなの視点は自然に「さて、判決は?」に向かう。

 この大物政治家に対する判決については、当然のことながらさまざまな予測が飛び交っている。「ファンが多い」ので、先月2年の執行猶予付きの死刑判決を受けた劉志軍・元鉄道相と同じような温情判決におさまるだろうという声と、「ファンが多い」からこそその影響力を削ぐために厳しい判決が下る、という声がある。いろいろ見渡しても、この二つ以外に大して説得力を持つ予測はない。

 だからこそ気が滅入るのである。「世紀の裁判」と言われて注目され、当局も微博を使って公開中継してみせるという画期的な裁判だった。しかし、結局は誰もが政府指導者たちの気の持ちようで決まると知っている。つまるところ、どっちに転がっても政治的判断以外何の根拠もない。そんな、法律などまったくの「飾り物」としてしか存在しない公判で、どんな判決が下りようと何も始まらないし、何も終わらない。つまるところ「世紀の裁判」も蓋を開けてみれば、その程度の話なのだ。

 この裁判を、文化大革命(文革)の直接の終結になった「四人組」裁判、特に薄が持つ政治上のイメージから、毛沢東夫人だった江青の裁判に例える声もある。確かに注目度という点では間違いなくそれと並ぶ裁判だった。だが、あの時江青を待っていたのは厳罰であることは明らかだったし、また見守っていた人たちもそれを知っていた。というか、それを期待していた。それも政治判断だったが、あの時は彼女に厳罰が下されることで、一つの時代の終わりを意味していた。ある意味、彼女はあの時代を彩った張本人ではあったが、それが終わると人身御供にされた。アイツを切ればあの忌まわしい時代も終わる――そんな思いはかつて同様の思いで「時代」を片付けてきたことのある日本人には分からないでもないはずだ。

 だが、江青という人身御供は「悪の権化」として消えていったけれど、当時もう一人の張本人は断罪されずに残った。それが今でも大きな影を残していることに、人々は最近になって気がつき始めた。薄煕来が重慶で展開したのは犯罪を取り締まるのと同時に革命歌を歌うことであり、「犯罪」の名目のもとに意に添わない企業家や敵対勢力を徹底的に追い詰めた。

 そればかりではない。現国家主席の習近平も近頃、「普遍的価値、報道の自由、公民社会、公民の権利、共産党の歴史の間違い、既得権益資産階級、そして司法の独立などを語ってはならない」とする、時代に逆行するようなイデオロギー色たっぷりの規制をネットや学校に通達した。さらにネット上の言葉狩りも始まっており、公民権を語ってきた活動家たちがこのところ次々と、さまざまな理由で逮捕されている。

...そんな中、今回の「世紀の裁判」は「何かが終わる」というより「何かが始まる」きっかけになっている。だが、実際にこれから何が始まるのか、誰もまだよく知らない。さらにはそれに期待を寄せる人が誰もいないのである。

 なぜか――そこに人々が「文革」の亡霊を見ているからだ。

 薄や習の人となりを語る時、必ず引き合いに出されてきたのが文革の狂気に巻き込まれた二人の青年時代だが、今それを振り返るとそれは二人にとって大したことではなかったのではないか、という気もしてくる。その証拠として、薄の182センチ、習の180センチの身長を挙げる人がいた。当時の中国は食料が不足しており、誰もがほぼガリガリだった。なのに、その頃育ち盛りだったはずの二人がなぜこんな立派な体躯に育ったのか――それは彼らが特別配給食を食べていたからだ、「太子党」の彼らはどうのこうの言いながら特別な世界で暮らしており、飢えたことなんてなかったんだよ、と。

 確かに彼らはアジア人でありながら、西洋人と並んでも見劣りがしない。日本も含めて、その他アジアの同世代リーダーでもここまで堂々とした体躯の人物はほぼいない。「つまりね、彼らの経験した文革なんて、同時代の庶民が味わった苦しみに比べてどうってことなかったんだよ」と、あるジャーナリストは言った。

 今の二人の行動を眺めて見ると、この言葉には一理あるようだ。彼らは文革に本当の痛みは感じていない。だからこそ、あの文革を思い起こさせるようなイデオロギーを平気で口にできるのではないか――

 だが、庶民にとっての文革はそれほど簡単なものではなかった。そして、それはいまだに容易に口にすることができない痛みを伴っている。

 今年6月に雑誌『炎黄春秋』に掲載された広告が大きな注目を浴びた。その広告にはこう書かれていた。


 鄭重なる謝罪

 わたくし劉伯勤は「文革」の初めに山東省済南一中初等クラス24級3組の学生で、山東省政協宿舎で暮らしていました。当時まだ幼く無恥であり、他者の誘惑を受け、また個人も愚かで、善悪の区別がつかず、学校の教師である畢徳質先生、李昌義主任、胡熹和先生、朱琳副校長などの吊し上げに加わり、同級生の張念泉さん、韓桂英さんの家の捜索に加わり、宿舎内の周志俊さん、宋文田さん、杜大中さんなどの家庭に嫌がらせを行い、彼らとそのご家族に大きな傷を負わせました。年老いてことを深く反省するにいたり、「文革」という大きな環境内に巻き込まれた結果とはいえ、個人としての悪の責任は許しがたいと感じています。ここに以上のご先輩、同級生、みなさんとその他わたしによって傷つけられた先生方、同級生、周囲の方々とご家族に心から謝罪をするものです! ここで心から昔の過ちへの赦しを乞うものです。

 その後のメディアの取材で明らかになった劉伯勤氏は61歳。これまで中学校の同窓会へも顔を出せずじまいだったという。人を介して探したところ、広告に名前のあった同級生の韓桂英さんはすでに亡くなっており、5年前に連絡がとれた張念泉さんは「子供だったから。あんな環境だったからね」と慰めてくれたという。

 だが、この広告はさまざまな連鎖効果を生んだ。次々と告白者が現れ、またその足跡をたどる報道が続いた。実は2月には文革時代の権力闘争で人を殺めた農民が裁判にかけられ懲役3年の判決を受けた。1980年代に一度逮捕されたところを逃亡し、昨年まで肉体労働者として働き続けたが、80歳を越えて身体が動かなくなって故郷に戻ってきて捕まったのだった。

 劉さんの広告が掲載されて現れた告白者の中で最も話題になったのが、元紅衛兵の張紅兵さんのケースだった。1970年に16歳だった彼は自宅で毛沢東を批判した母を父とともに密告し、母はすぐに逮捕されて2ヶ月後に銃殺刑となった。その時の様子をあるテレビの討論番組に電話を通して語る彼は号泣した。その張さんは今は弁護士だという。

 そんなさまざまな文革中の行為に対する謝罪はそれぞれ苦しみに満ちており、そこから、メディアやネットでも多くの人たちが「文革」時代の悲劇について討論を始めたころ、政府からメディアに対して「文革」話題を取り上げないように、という規制が入った。そして表面上はそれはまた視線から消えていった。

 だが、薄煕来公判を通じてその様子を思い起こした人たちは多いはずだ。今年12月は毛沢東の生誕120周年という節目もある。毛沢東の生まれ故郷では祝賀記念式開催を予想して、記念館の建設が始まったと聞く。

 民間ではいまだに疼き続ける悪夢と、それに痛みを感じない指導者のノスタルジー。中国政府はこの「文革」をいかに取り扱うのか。革命歌を喧伝した薄煕来は「文革」の悪夢とともに葬り去られるのか、それとも恩赦を受けて生きながらえるのか。薄煕来に対する処遇は中央政府指導部の意思表示の第一歩、リトマス試験紙になるとされている。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

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