コラム

鳥インフルエンザ騒ぎに見る「知識不在社会」

2013年04月11日(木)06時00分

 まったく......一難去ってまた一難、とはこのことですね。

 去年の秋からにわかに北京の空を「彩った」PM2.5。そのまま映画「バットマン」の撮影もできそうな、くら〜く立ち込めた灰色のスモッグが続いた冬がやっと過ぎ去ったと思ったら、今度は上海の上流から大量のブタの死骸がどんぶらこ、と流れてくるホラーまがいの話。日頃はその河で魚を捕っている人たちがサルベージ業者に急遽転身(だって魚は捕れないし)、結果すくい上げたその数なんと1万6千頭とか。

「中国は人口が多いから」というのが中国人が物事をあきらめるときの決まり文句だが、多いのは人口だけじゃなかった! 原因は上流の養豚地区で疫病が流行ったから、とか、「これまでブタの死骸を引き取っていた業者が大規模逮捕されたため」とか、さらには「その業者が死んだブタを食肉として売っていた(から摘発された)」とか、「病死したブタが河に流されたんだから、水質はどうなってる?」と言われ、次から次へと疑問の連鎖が発生。でも、政府はそれらに「大丈夫、心配ない。事態は収拾に向かっている」としか、答えていない。

 でも、その一方で「水道水は煮沸して飲みましょう」とか、「肉はきちんとした店で買いましょう」という「安全」に関する、これまた政府からのお触れが回っているわけで、市民が疑心暗鬼になるのも仕方がない。そういうところは相変わらず妙にお役所仕事で、あっちの部門が「大丈夫」と答えているのに、こっちの部門が「気をつけましょう」とやる。そんなことから、政府内には一応危機感が蔓延していることが人々に知れ渡り、ますます人々の警戒感は解けない。2003年のSARS以降、「政府もお勉強しました」という割には灯台下暗しな状況は、相変わらずだ。

 北京のPM2.5騒ぎも、2008年の北京オリンピックを前にしてアメリカ駐中国大使館がその敷地内に設備を持ち込んで計測を始めたのが最初だという話は以前書いた(憂鬱な「空気」)。絶望的なデータ結果に人々が騒ぎ始めた時、中国政府関係者は「あれはアメリカ大使館の敷地内のデータ。北京全体を示すものではない。大丈夫」とのたまった。だが、昨年初めからどんよりと真っ黒いスモッグを毎日のように見せつけられた人たちによる世論の高まりに負けて、昨年秋から市の気象台でも観測を始めたら、やっぱり基準を超える日々が続いた(でも発表されるデータは米大使館発表よりいつも一ランク下の緩さだ)。

 PM2.5といえば、ついでに書いておくが、中国メディアの記者たちもそんなどんよりと続く空の下で、そのスモッグの原因、影響、そして対策について伝えようと事実を探しまわった。そのうちの1人に聞いた話だが、記者はスモッグの原因について、まず大気関連の専門家を訪ね、「今冬は風が吹く日が少なく、そのためにずっと汚れた大気が停滞している」という説明を受けた。そこで「その汚れた大気の原因はなんでしょう? ガソリンの質が悪いという話もありますが?」と尋ねたら、「わたしはエネルギー専門家ではないので、答えられない」と言われたそうだ。

 そこで工業関連の専門家を探してガソリンについて尋ねると、「中国のガソリンはEUの環境基準に準じている」という。「石油精製業者(=ほぼ国営)が精製、販売しているのは実際にはそれよりも低いレベルのものなので、これほど酷いスモッグになったという説もありますが?」と聞くと、「わたしは精製の現場責任者ではないので、それは業者に聞いてくれ」と言う。

 だが、業者に尋ねても「ハイ、そのとおり」と答えるわけもなく、仕方ないので「健康への影響はあるのでしょうか?」と尋ねると、「わたしは医学専門家ではないので、分かりません」と来る。ならば、と病院に駆けつけると、多くの人たちが順番待ちをしている。そこで子供を連れてきた親に尋ねると、「スモッグがひどくなってから、子供が咳き込みだした」と語ってくれた。

 だが、当の病院の診断は「冬ですからね。乾燥もしてますし、風邪でしょう。お薬出しておきますね」。実はこの記者は自身も昨年、ある地方の鉱山で公害被害の当事者を訪ねた時、工業薬品の悪臭のするドブ池そばで取材をし、その日から激しい咳が止まらなくなったことがあった。北京に帰って来て何日たっても治まらないので病院に行ったら、医者の診断はやはり「風邪でしょう」だった。

 だが、その時病院に勤める別の友人が教えてくれたのは、「徹底的に検査をすれば、公害との関係もわかるかもしれない。だが、ほとんどの病院はそういう手間を掛けたがらない。それはそのための設備や他の検査窓口との連携が大変だから。もう一つ、もし公害との関係が明らかになれば、会社やその原因を作った組織との労働災害の民事訴訟にもなりかねず、病院側はその証拠を提出しなければならなくなる。その責任を負いたくないの。下手をすれば、訴訟は政府を相手取ったものにもなりかねないわけで、管轄機関である政府とのトラブルは避けたいという意識が働く」。つまりこれといった明らかな特徴がない限り、こうした呼吸器官のトラブルは「風邪だ」で済ませるのだそうだ。この記者は取材の途中で頭を抱えた。

 そんなときの「大丈夫、心配ない」という手短な政府発表は「落ち着け」という号令だと、中国の人たちはみな知っている。長年の経験から、結局「大丈夫」じゃなかった時に政府は何を保証してくれるわけでもないことも知っている(SARSだってそうだった)。この社会では政府の号令に従って列に並んでも、誰かが優先されるという特別ルールが常に発生し、それが繰り返されていつまでも自分の番が回ってこないことを一回や二回ならずの痛い経験をして人々は知っている。政府は「人口が多いからしかたがない」と言い訳するが、自分がその「人口」の犠牲にされるのは真っ平御免だと、誰しもが思っている。

 流れてきたブタの死骸についてもきちんとした発表がなされないのは、なにか言い訳せざるを得ない事情があるのだろうと人々は考えている。やっぱり、ブタの死骸を引き取る業者が大量摘発されたのは死んだブタの肉を売っていたせいで、そのブタ肉が実はこっそりと上海などの街でも売られていたから、政府はただ事態の連鎖を公表するのではなく、黙ってブタの死骸を河からすくい上げることで「事態は収拾に」向かわせているのだ――人々はそう考えている。だがそれを証明してくれる専門家はいない。だからこそ、「大丈夫、心配ない」の言葉に乗っかるよりも、まず自分の身を守るのが先、と判断する。

 今の鳥インフルエンザにも同様の不安と不信感が渦巻いている。2003年のSARSを北京のど真ん中で経験したわたしからすれば、実際には毎日のように感染者数、そして死者数、さらにはその名前などを記者会見を開いて公表しているのを見ると、政府の「情報公開」のスタンスは当時と比べて前進しているのは間違いない。

 だが、一方でそれらの情報を発表する窓口が政府の記者会見だけに限られていること、いまだに病院や食肉業者、あるいは(関係が疑われた)ブタの死骸の源流などへの取材報道や情報発信がまったくないことから、上述のPM2.5の取材で記者が経験したような、「政府にお咎めを受けるような情報発信はできない」と現場の人たちが考えているのは間違いない。中国メディアはともかく、上海に駐在する海外メディアですらそうした現場からの情報取得ができていないことからも、本来なら取材対象、あるいは情報提供の現場にいる人たちが「面倒な事に巻き込まれたくない」と思っているのは明らかだ。

 日本でも詳細に記者会見の内容は流れているが、それでも「鳥インフルエンザ、情報隠蔽ってことはありませんかね?」と、多くの人が言う。彼らの「隠蔽」という言葉はSARSの時のような積極的な「隠し」の行為を意味している。だが、今回の鳥インフルエンザは多少、中身の詳細な関係性をすっとばしたような説明が多いものの、中国的には「積極的に」(あくまでも「中国的に」である)情報を発信していると感じている。

 問題は中国という国ではすべての機関、専門家という社会における情報のネックになる存在が、上述したように結局はツリーのように政府という「元締め」につながる。その政府に「面倒を引き起こした」と思われれば彼らは職どころか、社会的地位まで失ってしまう。そんな恐怖心が日頃から彼らにはしっかりと植え付けられており、また政府自体もそういう恐怖心があることを前提に情報提供を行なっていることだ。

 こうして、PM2.5も、ブタの死骸の漂流事件も、鳥インフルエンザも、我々はなーんの情報も手にしていない。ただ、政府が一方的に流す「公式発表」だけが唯一の情報源だ。このまま政府の「大丈夫だ、心配ない。収束した」という言葉で幕が降ろされるのか。

 だが、政府の「意図」だけではなく、長年の経験から中国社会にもそんな情報抑制構造ができ上がっている。いつまでたっても中国社会がちょっとした情報に右往左往して大騒ぎするのは、そうした情報共有の習慣がないからである。口コミや思い込みで流れる情報があまりにも多く、そしてそれが(たぶん日本社会の数十倍の割合で)正しかったりする。だが、そこには専門的な知識は根付かない。

 SARSの時は蒋彦永という軍医の告発が大きな「力」になった。その後、鍾南山という呼吸器専門医が治療に活躍した。だが、PM2.5にもブタの死骸にも、専門家からの声はない。鳥インフルエンザも発言するは政府ばかり。専門家不在、政治主導の社会では、人々の疑心暗鬼は消えない。この際本当に治すべきは、こうした知識不在社会の歪みであるべきなのではないか、とわたしは考えている。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=ダウ436ドル安、CPIや銀行決算受

ビジネス

NY外為市場=ドル急伸し148円台後半、4月以来の

ビジネス

米金利変更急がず、関税の影響は限定的な可能性=ボス

ワールド

中印ブラジル「ロシアと取引継続なら大打撃」、NAT
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story