コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
中国新トップ、斜めから眺めてわかった意外な共通点
中国共産党の総書記に習近平が選ばれ、習体制が立ち上がってから、すっかり国家主席、首相(国務院総理)を務める胡錦濤と温家宝の陰は薄くなった。これまでトップ交代の折には「華やかで、麗しき未来」が謳われてきた中国だが、今回は官報メディアはともかく全体的にメディアを見渡しても「華々しさ」は薄れてしまった感じだ。
そのひとつは「メディア」の枠が広がったこと。今や胡や温が就任した10年前と違い、一般に言われる「メディア」はテレビ、ラジオ、新聞の他に、ネットのポータルサイト、ブログ、マイクロブログ(ツイッターや微博)、そしてさらには携帯電話に届く同様のニュース配信の他、「口コミ」的な微信もある。昔から「口コミ」情報が重視されてきた中国では、海外を含む遠く離れたところにいる人にも届けられる新しいこのサービスは立派な「メディア」となっている。
ネットサービスである微信はテキストメッセージ中心のSMS(ショートメッセージサービス)に代わって、スマホ時代の新たなコミュニケーションツールになっている。SMSと違うのは、日本の携帯メール的なやりとりができる以外に、相手に向けた録音メッセージ機能がついていること。いちいち文字を打ち込む必要がなく、ちょっとした伝言にとても便利だ。さらに禁止ワードの文字検索によってメッセージを削除されたり、それを証拠に厄介なことになるSMSと違い、録音なら文字検索されないという利点がある。
個人の情報網はこうやってますます広がっている。
だが、世代交代の「華々しさ」が伝染しない理由はもうひとつ、習近平という人物がよくわからないことだ。5年も前からさんざん「次期リーダー」として世界中で注目され、その人物像もさまざま媒体で分析されてきたが、それでもその性格すら「こういう人」という形が見えてこない。「鷹揚」とか形容詞もあるが、そりゃ身長180センチ、体重100キロという姿を見れば誰だってそう思うだろう、というレベルの分析である。
中国共産党老幹部の子弟グループ「太子党」と呼ばれているが、ならばその彼が、人民解放軍の前身の八路軍兵士として日中戦争を戦い、建国時の功労者であり、元老の一人だった父・習仲勲からどんな「帝王学」を受けたのか、という確固たる分析もない。「太子党」というラベルはその血縁関係だけを示すもので、人となりを語るときの参考にはならない。
さらにこれまで5年間国家副主席という役職にありながら、「個人」の表情を見せることがほとんどなかった。強いて言えば、2009年に外遊先のメキシコで「腹がいっぱいで暇なガイジンが、中国をあれこれあげつらう」という発言をして、次期リーダーは「タカ派か?」と騒がれたくらいだ。この発言は2008年のチベット事件以降、特に中国の人権問題に手厳しい西洋先進諸国に向けられたものだが、習の一人娘が翌年米国ハーバード大学に留学、というオチもあり、「タカ派かどうか」はクエスチョンマーク付きのままで語られている。
だが、そんな彼の経歴を見ると、参考になる点もある。1979年に理系の国内最高峰、清華大学を卒業した後、国務院(内閣)弁公庁で秘書官を務め、その後河北省に転出したが、1985年以降、アモイ市、福州市(どちらも福建省)、福建省、浙江省、上海市の要職を務めてきた。文革中に7年間陝西省に下放された以外、基本的に北京育ちの彼がこれら中国において海外、及び華僑と密接な関係を持つ開放的な土地のトップを軒並み務めてきたことは注目に値する。
さらに中国国内でも余り知られていないが、2007年に習が上海市党委員会書記就任わずか半年後に党中央の政治局常務委員へと破格の抜擢を受けたのとほぼ同時期に、習は中央政府による香港とマカオの特別行政区のアジェンダ調整機関である「中央港澳工作協調小組」(中央香港マカオ事務協調小委員会)のトップに就任している。
この人事は当時香港で、次期トップリーダーとされる習が香港事務に関わることは「中央政府の香港への重視」を体現したものだと話題になった。だが、よくよくこうして見ると、習個人がアモイや福建、そして浙江省に上海など「海外に開放的な土地」で培ってきた手腕を、香港統治で発揮することを期待されたのだろう。
そういえば彼の父、習仲勲は文革から名誉回復した後広東省に赴任し、広東省省長まで務めた人物だ。1979年に誕生した深セン経済特区の実現にも関わった。当時の深センは、イギリス領だった香港と広東省が接する土地で、そこで香港経由で海外の資本、技術を導入し中国の経済発展に役立てることを目的とする画期的な計画だった。
こうして見ると、わたしは習の「海外センス」に非常に関心を覚える。福建省時代にはインドネシアの華僑と協力して工業開発区を開設、現在そこには多くの台湾企業が進出していると報道される。この開発区が同地出身の華僑財閥の独占資本によって(つまり、中国資本を混ぜずに)建てられ、運営されていること自体には少々不可思議な思いもあるが、このような人脈や海外資本導入、あるいはそれらの国々との付き合いで培ってきた経験は、これまでの中国トップには珍しいといえるだろう。鄧小平が唱えた経済開放政策を現場で推し進めてきた人物である。
そういえば、胡錦濤、温家宝はトップ就任当初、それぞれ清華大学、中国地質大学を卒業した「テクノクラート出身指導者」としてもてはやされたのだった。それが、経済発展に沸く中国の「技術革新」ムードと結びついたのだが、習、そして温の後をついで国務院総理となる李には一体どんな「メッセージ」が込められているのか。
習近平は清華大学化学工程学部、李克強は北京大学法学部を卒業している。理系と文系、そこにはなんの関連もないし、この二人、ソリが合うかどうかという話題も今だによく語られる。が、先日の朝日新聞の新指導部7人の横顔を伝える報道で、李克強が大学時代に「英語の習得に取り組み、著名な英法学者ロード・デニングの『法の正当な手続』を共同翻訳した」とあるのを目にした。
李克強の専門書翻訳までこなした英語力。そして習近平の豊富な外国との接触体験。
多くのメディアはまだこれまでのトップ分析経験そのままに、軍との関係、党内人脈などを中心にこの二人の「性格」を斟酌しているようだが、この二人を斜から眺めて見つけた「海外との関係」という共通ポイント、今後の中国の動きを読む上で重要な判断材料になりはしまいか。
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