コラム

見えない中国、見える中国

2012年11月10日(土)14時15分

 ここ数日、ツイッターに「斯巴達」という言葉が舞っている。「いつもだったら5分の距離なのに、もう40分以上かかってる。夕飯の約束に大遅れ。『斯巴達』のせいだ!」とか、「テレビつけるとぜーんぶ『斯巴達』。いいかげんにしろ」とか、「なんで今日はネットにつながりにくいんだ? これも『斯巴達』効果?」などという具合に。もうお分かりかもしれない、「斯巴達」がそれほど喜ばれているわけではないことが。

 これを杓子定規に辞書を引いて、「スパルタ」などと訳してはいけない。いや、ギリシャの「スパルタ」のようでありながらスパルタにあらず、想像力と創造性という点からすれば、この「斯巴達」は最近の中国インターネット隠語のレベルからみれば、かなり上出来である。

「斯巴達」は「スーバーダー」と読む。このあたりでちょっとひねくれた中国人ならすぐ分かる。「スーバーダー」→「シーバーダー」→「十八大」、つまり今開かれている、中国共産党の第18回全国代表大会(党大会)を指している。北京ではこの党大会のおかげで急な交通規制が行われたり、庶民の日常生活に大きな支障をきたしているのだ。

 都市国家の「スパルタ」と中国共産党員の代表大会、もちろんそこには直接はなんの関係もない。だが考えてみるとその発音が似ているということ以上に、国家の強大化を目標に住民たちにあれやこれやの規制を設けて管理する中国共産党が、都市国家の強国を目指した管理規制社会のスパルタに重なる。もちろん中国政府はむやみな批判は許さないから、「十八大」を批判すれば書き込みはすぐに消されてしまうし、下手をすれば自分の身に危険が及ぶかもしれない。だから人々は「斯巴達」を批判の的にして不満を共有し合いつつ、リスクを回避する。

「十八大」話題のついでに一つ、真面目な情報をお伝えしておこう。今回の党大会では胡錦濤氏をはじめとする現指導部が習近平氏ら新しい世代のグループへとバトンタッチすることで注目されているが、一部では「胡錦濤は『裸退』するかも」という憶測が流れている。

 この「裸」というのは文字通り素っ裸、「退」は「引退」を指す。「素っ裸で引退する」というのはつまり、今回確実に退く党総書記の役職以外に「中国共産党軍事委員会主席」も一緒に手放してすっぱり引退するのではないか、という意味だ。

 中国で軍を統括する軍事委員会(正式には中国には国家と党にそれぞれ「軍事委員会」がある。が、同じ人物が同じ役職についている)の主席は現在の国家主席であり共産党総書記の胡錦濤だ。この軍事委員会主席職の引き継ぎについて今一般的に語られているのは、10年前に自分が前任の江沢民から共産党総書記の席を引き継いだ際に江がそれから約2年後にやっと軍事委員会主席を明け渡した例を踏襲し、胡も習への引き継ぎを数年後に先送りする、という説だ。

「裸退」とはその通説に反し、胡錦濤が「なんの官職も手元に残さず、すべて習近平に預けて完全引退する」こと。大胆な説ではあるが、その根拠として「胡錦濤の健康状態」が上がっており、胡はかなり重い糖尿病を患い、いつまで重要な官職を続けられるかわからないという。中国ではトップのカネと健康は機密中の機密だが、わたしがこの説に注目しているのは、時折しか公開の場に顔を出さない胡錦濤の顔の艶が確かにここ2年ほど悪くなっているからだ。

 もちろん、それも数ある噂のうちの一つに過ぎない。「裸退」を裏付ける、その他の確固とした根拠はわたしは手にしていない。しかし、「軍事委員会主席移譲後延ばし」説もしっかりとした根拠が示されているわけではなく、「慣習」のレベルで説明されているだけなのだ。さて、その結果はいかに? たぶん、このコラムの次回更新時にはその結果が出ている。

 だが、敢えて言うならば、こうした、その時は誰もが目にしながら「取るに足りない」と思っているものに重大な出来事を読み解くカギが隠されていたことが分かった例はよくある。それを偶然と呼ぶか、必然と呼ぶかは、引き起こされた出来事をきちんと見極め、検証してこそ出てくるものだ。

 その思いを強くしたのが、先月末ニューヨーク・タイムズ紙の上海支局長が、温家宝首相の家族らが首相の権威を使って最低でも27億米ドルもの資産を蓄えている、とした暴露記事だった。この記事は大騒ぎになったが、同支局長が記事の執筆の背景について読者と交わした問答が興味深かった。

 多くの人たちは、この暴露記事は、温家宝を追い落としを狙う「アンチ温」の保守勢力が記者に渡した詳細な資料がきっかけになったと考えている。だが、その一方で温をそれほど評価していない人たちの間からも、「なぜニューヨーク・タイムズが開明派と言われる温家宝の追い落としに参画したのか?」、「党大会直前の、まさに温家宝が下野する今になって発表されたのはなぜ?」、「アンチ温派は他のメディアとも接触したはず。だが、なぜ他の外国メディアから出て来なかったのか?」...などなど、多くの疑問の声が上がっている。

 執筆者であるデイビッド・バドーザ記者はこの問答記事の中で、記事は中国で公開されている、正式な情報を読み解いた結果であることを強調している。きっかけとなったのも、2004年に上海に経済記者として赴任後、銀行家や弁護士、会計士などとの会食の席で、政府指導者の家族が企業から秘密の株式配当を受けたりと、さまざまな方法で蓄財を増やしているという話をたびたび耳にすることだったという。その中でも温家宝の家族の噂をよく耳にしたので、温一家にターゲットを決めて資料探しを始めたそうだ。

 同記者によると、調査はまず、さまざまな土地の工商局から既定の費用を支払って企業の登記資料を手に入れ、丹念にそれを調べることから始めた。そこからさらに数十社に渡る、温氏の直属の家族が関係する企業資料を集めてそのリストをまとめたのだそうだ。「調べ始めて驚いた。そこにはたくさんの公開資料があったからだ。中国の優れた経済誌もたびたび手に入れて取材資料に使っているようなものばかりだが、中国政府が指導者の家族についての報道を規制しているために、中国メディアによるこのような調査報道は制約されている」と語っている。

「誰かが意図的に資料を持ち込んだのでは?」という質問には、「わたしが参考にした資料は資料棚いっぱいにぎっしりと詰まっている。これを温首相の敵が大型のスーツケースに入れて持ってきたなどということはない。わたしは公開されている資料を検証しただけ」と否定。昨年始めたという調査結果の公開時期が今になったのも、「最初は一ヶ月で事足りると思っていた。だが、調べれば調べるほどその内容は深く、調べ続けなければならなかった。その結果1年余りもかかってしまった」と言う。

 党大会とのタイミングも、自分の担当が経済であり、北京の党大会は別の同僚が取材していること、そして「わたしの調査では違法、あるいは汚職行為は見つからなかった。ただ、ほぼ誰にも知られていない、数十の投資プラットホームの裏に温家宝の家族の名前が隠れていることを暴露しただけだ」と、それが「温氏の汚職報道ではないこと」を強調している(確かにこのへんは実際に記事を読んでいない人たちの間で誤解されている)。

 さてこの言葉を信じるか。それとも、やっぱりあれはアンチ温家宝派の追い落としによる謀略だと考えるか。わたし個人は温がまさに首相の職を降りる直前であること、さらにこの記事以外にもさんざん党内のアンチ派の牽制を受けていること、さらに「汚職を証明」したわけではなく、またアンチ温派を含めた他のリーダーの家族も蓄財を増やしていることを考えれば、この記者の言葉は真実ではないか、という判断に立っている。

 だが、これらの情報がただの公開情報に隠れていたとは、それ自体が驚きである。見えるようで見えない中国、見えないようで見えている中国。このへんのどこを信じるかによって、事実の評価は大きく別れるような気がするのだが。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

日産、タイ従業員1000人を削減・配置転換 生産集

ビジネス

製造業PMI11月は49.0に低下、サービス業は2

ワールド

シンガポールGDP、第3四半期は前年比5.4%増に

ビジネス

中国百度、7─9月期の売上高3%減 広告収入振るわ
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 2
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 5
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 8
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 9
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 10
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査を受けたら...衝撃的な結果に「謎が解けた」
  • 3
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 4
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 7
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 8
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    メーガン妃が「輝きを失った瞬間」が話題に...その時…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 7
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 8
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 9
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
  • 10
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story