コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
「你幸福嗎?(あなたは幸せですか?)」
10月初め、中国の国営放送、中央電視台のニュース番組で、「你幸福嗎?」(あなたは幸せですか?)とマイクをつきつけられた人が、「我姓曽」(わたしは曽と言います)と答える様子が放送され、大きな話題になった。このまったく噛み合っていない問答が中国のいろいろな現実を、見る人たちに思い起こさせたからだ。
一つは、マイクをつきつけられた相手が、農村から一時的に都会に働きに来た「民工」、つまり出稼ぎ者だったこと。日頃、都会の市民の目にはほぼ「透明人間」状態の彼らは、都市のいわゆる「3K」業をすべて担っている。都市では欠かすことのできない存在だが、この街での生活を文字通りエンジョイしている人たちの目にはほとんど彼らの存在は入っていない。そして彼ら自身も習慣的に「自分とは関係のない人たち」との付き合いに無頓着だ。ある意味、現代中国独特の年における階級社会では底辺にいる彼らに国営放送の記者が突然スポットライトを当てたのである。
だから最初、尋ねられた相手は「俺は出稼ぎ者だから...」と言って逃げた。これも考えようによっては不思議な「逃げ」だった。そこにはやはり日頃中国の都会では存在を無視され続け、またそのことに慣れてしまった彼ら自身が、「この街では自分は取るに足りない者」という意識を持っており、記者が向けたカメラはそれを彼らが口にしてしまう役目を果たした。
さらに見ている人たちが違和感を持ったのは、その記者がそれでもしつこく「民工」に「你幸福嗎?」と食い下がったことだった。理由はどうであれ、相手は逃げようとしている。なのに、記者には何が何でもこの人物に答えさせなければならない、という「任務」があったのか。つまり、テレビ局側は彼らの答を期待していた。見るからに貧しく、日頃はその存在すら重視されていない人に、執拗に「幸福」を語らせようとするのはなぜなのか?
三番目に見ている側がなんとも言えない気分になったのは、この「幸福」という言葉の曖昧さである。テレビでは民工に「幸福」を語らせようとしている。ならば自分ならどう答えるだろうか? 「はい」? ...と答えるほど満足感に満たされているわけではない。「いいえ」? ...いやでも自分はこうやってここでテレビを見ていて、不幸せだろうか? じゃ、この「民工」ならもっと......
......つまり「幸福」という言葉自体が、日常においてそれほど身近な言葉でないうえに、それを見ている人にとってさらに遠い存在である「民工」に追いすがって無理やり語らせようとするというチグハグ感が、見ていた人の心に波を立てた。
そして、苦し紛れの「民工」の口から出た言葉が「我姓曾」(わたしは曽です)だった――これは「你幸福嗎? Ni xing fu ma」という設問をまったく同音の「你姓福嗎?」(あなたのお名前は福さんですか?)にすり替えて、「(いいえ、)わたしは曽です」と答えたもの。そのやりとりを中央電視台はこれまた悪びれる様子もなくそのまま編集し放映したことによって、期待されていたであろう、単純な答よりもその一連の奇妙さを視聴者の心に焼き付ける結果となった。そして摩訶不思議な思いでテレビを見ていた人たちから議論が始まった。
中央電視台がなぜ「幸福かどうか」という抽象的な質問への答を執拗に求めるのか。もちろん、かつて社会主義華やかなりし頃に繰り返し伝えられたような、「外国は帝国主義に苦しめられているが、我々中国人は幸せに暮らしている」的なキャンペーン下では人々は「幸せだ」と胸を張って答えただろう。だが、今やそんな言葉を文字通り信じている人など(少なくとも、のんびりテレビを見ている人たちの中には)いない。為政者は国民に「幸せです」と言ってもらえればこの上なく光栄な話だろうが、ここはまだ社会主義、中国。市民にはもともと自分の思いを発散させる発言権などない。テレビのマイクはそれを一時的にあるように見せる「偽物の工具」でしかない。
人々は自然にこれは「幸せです」と言って欲しい政府への提灯報道だろう、と訝った。11月には党大会を控え、新たな党の指導者が選出される時期である。街はそのために10月1日の国慶節を過ぎてからまた新たに花壇が設えられ、色とりどりの花が咲いた植木鉢が気温が急降下したのに並べられ(そして枯れたものはすぐに取り替えられ)、党大会用の華やかな雰囲気作りが進められている。ここで市民が「我々は幸福です!」とカメラに向かって宣言し、にっこり微笑めば、今の政府指導者たちは有終の美を飾ることができるじゃないか。国内でもトップの「国の舌」(宣伝メディア)である中央電視台の任務としては十分想像できる。
もう一つ、この秋の党大会で9人(あるいは7人)の政府トップに入るかもしれないと噂される、広東省の汪洋・党委員会書記が今年春に「幸福な広東」の施政方針を打ち出したことも関係していたのかもしれない。汪書記はそこで、「幸福が党や政府の『お恵み』という考え方は改めなければならない」と語り、「民生の改善、文化による指導、制度の保証」という3つの指針を打ち出して話題になった。
それがなんらかの起爆剤になるか、という期待もあった。これまでもなんどか書いてきたが、今は物価の高騰、不動産の高騰、食品不信、社会保障の欠落、病院不信、大気や水の汚染などとにかく不安事には事欠かない。そんな状況を汪書記はどうやって変えていくというのか――漠然とした「幸福」は言葉を尽くせば描けるが、今の中国の現状はあまりにも不安材料が多すぎる。
ならば、この国の人にとってまず何を改善できれば最大公約数的な「幸せ」といえるのか...と、ぼんやり考えていた時に、週刊紙「南方週末」の記事が目に止まった。
それは、今年の夏のロンドンオリンピック53キロ級女子重量挙げで131キロの世界新記録を達成し、最年少の金メダリストとなった趙常玲選手が、ICチップ入りの中国のIDカードを受け取った、という記事だった。もちろん、これだけではなんの変哲もない、中国人であるならば16歳になればふつうのコト。普通なら記事にもならない日常の話である。だが、この19歳の選手がなぜ今になって16歳の時に取るべきだったIDカードを手にできたのか、そこから続く彼女がこれまでたどった道は、中国人読者たちですら「言葉をなくした」とつぶやくほどのものだった。
同選手がロンドンで金メダルをとった瞬間、その名前は「趙常玲」でも「中国選手」でもなかった。彼女は「ズルフィア・チンシャンロ」という名のカザフスタンの選手だったのだ。この「ズルフィア」選手はカザフスタン初の金メダルで同国民を熱狂の渦に巻き込んだ。同国内で流れているプロフィールによると、「ズルフィア」選手は同国アルマトイの生まれ、父親は商売を営むカザフ人で、ロシア語とトンガン語(カザフ国内に住むアジア系ムスリムの言葉)を流暢に話すとされているそうだ。しかし、「南方週末」紙記者は「ズルフィア」さんが自分のロシア語の名前の綴りをうまく書けなかった、と伝えている。
実はこの「ズルフィア」さんは、中国湖南省永州の農村に生まれの中国人「趙常玲」さんだった。10歳の時に通っていた小学校に選手の卵を探しにやってきた同省重量挙げ協会の人たちに、その体格を見込まれてそのまま体育学校へと転校させられた。自分が望んだわけでもない厳しい訓練から、なんどか逃げだした彼女はそのたびに連れ戻され、缶詰にされて「国のために」「永州のために」と訓練が続けられた。
湖南省永州という土地は中国国内でも著名な重量挙げ選手を送り出したという歴史から重量挙げ選手の育成に力を入れている土地なのだそうだ。中国ではそういう「過去の栄光」が未来への遺産につながるケースがよくある。だがあまりにもそれに力を入れすぎる余り、過剰な競争を生む結果を作る場合も多い。永州でもコーチや学校が雲集し、選手の数は5万人という。その中からさまざまな選手権の代表となり、試合に出場して記録を残すにはそれこそものすごい競争を乗り超えなければならない。
さらに中国の場合、こうして青田刈りで集めてきた蜘蛛の子のような人たちに十分な将来が約束されるわけではない。一流の選手としてそれなりの成績を残せなければ、引退後に学校で教えるような生活すら保証されない。小さな頃から無理やり体育学校に集められて訓練に明け暮れる子どもたちは学校教育も満足に受けておらず、途中で脱落すればかなり厳しい人生を歩むことになるのだが、この趙さんには想像もしなかった過酷な運命が待ち構えていた。
そういうのも、2007年、彼女が13歳のときに省の重量挙げ協会トップがカザフスタンに「選手交流」を約束、5年間の契約で彼の地に選手を送り込むことが決定した。それは「交流」という名の下、中国選手ができるだけ広い活躍の場を得るための戦略で、中国の「選手枠」だけではなく、他国籍でその国の「選手枠」も利用して好成績を残す選手を誕生させれば、その選手を送り込んだ協会の「格も上がる」という判断だった。
だが当然のことながら、永州側はトップ選手を送り込むことはしない。二番手、三番手の中から13歳だった趙さん、そしてもう一人、22歳(=すでに将来のない)の女子選手が選ばれ、そのままカザフスタンへと送り込まれた。実家の両親には「カザフスタンに行くことになった。もう逃げられない」と電話をかけ、貧しい農民だった父親はその国名すら知らず、「お上の言うとおりにしなさい」と言ったという。そしてカザフスタン側は湖南省の重量挙げ協会に一人あたり5万米ドルの「交流費用」を支払った。この他選手の給料、そして国際試合で賞金を獲得した場合は別途支払いという契約内容だった。
友達もいないカザフスタンに送り込まれた趙選手らは現地名を名乗らされ、プロフィールが作られた。だが、言葉ができないためにカザフスタン選手とも交流できず、また食べ物にも、気候にも馴染めず毎日泣いて暮らしていたという。しかし、中国で鍛えられた彼女たちはカザフスタン選手たちとは別格の実力を持っていた。2009年には「ズルフィア」は世界大会の53キロ級で優勝、あっという間にカザフスタンで人気の選手となり、生活環境は大きく改善した。
一方で、中国で趙選手より有望視されていた選手たちがケガや故障に見舞われたり、数年前の薬物疑惑が足かせとなり、オリンピック出場権を失った。ロンドン五輪では27歳のスター、王明娟選手の金メダル2枚が中国のテレビを賑わせたが、「ズルフィア」選手と同じ53キロ級で出場した中国選手は初めての海外試合で体調を壊し、あっさりと舞台から消えた。だが、中国では「ズルフィア」の活躍は伝えられなかった。
カザフスタンのコーチは趙選手ら中国から送り込まれた「交流」選手に国際試合の場では中国人記者との接触を厳しく制限した。だが「ズルフィア」の金メダル獲得によって彼女と言葉を交わした中国人記者が、いつしか「養狼計画」と呼ばれていた「選手交流」プロジェクトの存在を暴露。この「養狼計画」はもとは中国の国技である卓球で「一国独占」の非難を交わすために始められたものだった。つまり、今でもこのプロジェクトによって、海外でその国の選手のふりをさせられている中国人選手がいる、ということになる。
そして、10月22日、「ズルフィア」はとうとう5年間の契約を終えた。カザフは生活条件を引き上げて彼女を引きとめようとしたが、湖南省側も「金の卵」をそのまま手渡すわけがない。19歳の「趙常玲」選手はこの日、そのまま中国に暮らし続けていれば16歳の時に取得していたはずのICチップ入りのIDカードを取得し、「中国籍」に戻った。しかし、そんな彼女も今後、湖南省の重量挙げチームの一員として試合に参加できるかどうかは分からないという。実際に過去、やはりカザフから帰ってきた選手が「出場してはならない」という国の体育協会の指令によって引退せざるを得なかったらしい。
...なんとも酷い話だ。わずか10歳でむりやり転校させられ、13歳で有無を言わさず海外に送られて満足に教育も受けられなかった「趙常玲」選手のような人たちにとって、わずか19歳での引退はあまりにもむごい。長沙の重量挙げ協会は「金の発掘」に成功しただろうが、彼女はこれからの人生をどう生きていくのか。いや、金メダルを獲得した趙選手ならこうして帰国がニュースネタにもなる。だが彼女と一緒にカザフやその他の国へ渡った、そしてその後も送られ続けている「交流選手」たちは一体どうなるのか。彼らは国や「お上」のコマでしかないらしい。
今でも湖南省の学校では元気に走り回る子どもたちに、「オリンピックの金メダルを目指さないか?」と青田刈り担当のコーチたちが声をかけ続けている、と記事は結んでいる。読んで震え上がる記事だった。
ここで暮らす人々の「幸福感」は複雑だ。趙選手は凱旋することができて今は「幸せ」を感じているかもしれない。だが、これからの長い将来は保証されたのだろうか。わずか20歳で掴んだ栄光でいつまでも「幸せ」に生きられるほど、今の中国社会は簡単ではない。人々の「幸福感」を探るなら、中央電視台は都市の片隅で生きる「民工」を追い掛け回して笑い飛ばすのではなく、もっともっとこんな現実を直視すべきだろうに。
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