コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
老朽都市、北京
今年5月に新しい家に引っ越した。最近雨後の竹の子のように建っているきれいで便利なマンションや外国人が密集する地区を避けて、街中の主要路に近い、1980年代に建てられたというアパートの4階に部屋を見つけた。
北京ではよく見かけるタイプの、エレベーターなしの6階建て民間住宅。もとは国家機関の職員アパートとして建てられたというから、80年代としてはそれなりに「高級」だったはずだ。だが夜に帰宅すれば、階段は真っ暗でわたしの足音に反応して階ごとに電燈がつく、という仕組みになっている。エネルギー不足を恐れる中国の典型的な「節電」設計で、民間アパートでは普通のことだ。
引っ越して2日目には回していた洗濯機のホースが気づかないうちに排水溝からはずれ、洗濯の排水が玄関ドアの隙間から踊り場に流れ出て、そこから踊り場に開けられた穴を通って階下へ伸びるコードを伝って電気メーターの中に入り、階下の家を停電させてしまった。床の水の対処に忙しかったわたしは、階下の住人が激しくドアを叩かれて初めてその騒ぎを知った。
80年代に建てられたこの建物には当時は想定されていなかったような「今」の生活に合わせるために、いろいろと工夫がなされている。外から引き込まれた電話線や電気コードやその他もろもろ何だか分からないものが壁に沿って走り、各戸へと引かれている。コードを通すために階段の踊り場にドリルで開けた穴があり、というある意味、分かりやすい構造でもある。
その後、毎朝、洗面所兼トイレ兼風呂場に異臭がこもっているのが気になり始めた。どうやら、排水溝からよそ様の「香り」が上がってくるらしい...それぞれアパートの部屋は持ち主によってすでに住みやすいように内装を施されている部屋も多く、我が家の内装も多少手が加えられているが、排水管のような共同で利用されている根幹の基本設備は誰も手を伸ばすことができず、当然ながら1980年代当時のままだ。つまり、このアパートはどんなきれいに内装された部屋も皮を一枚剥げば、ぼろぼろの80年代設備が現れる、という仕組みなのだ、と気が付いた。
正直、それまでわたしには中国の80年代の暮らし、というものをあまり意識したことがなかった。自業自得だ、と言われるかもしれないが、今も現実に多くの北京市民が、いや中国全土で見ればものすごく多くの人たちが、こんなインフラで暮らしている。実は北京のかなり高級マンションに住む知り合いの家でも、よそのお宅の「香り」が充満することがある、と聞いた。たとえ首都北京といえども、ここのインフラはどうも80年代より変わっていないようだ、と気が付いた。
それを再認識したのが、7月21日に北京で降った大雨だった。77人(7月26日統計)の命を奪った大雨で、2000万人近い人間が暮らすこの国の首都の根幹は、どれだけ老朽化した状態で維持されているかという事実を露呈した。
日本でも大きく報道され、多くの人たちが目にしたあの大洪水について、今週発売された雑誌「新世紀」は、「多くの排水のプロたちが、北京は全国でも先進的な排水システムを備えているが、そんな『先進的』な都市ですら、東京やパリ、ロンドン、ニューヨークなどの国際的大都市とは格段の差があると言う」と伝えている。さらに「北京の排水ポンプ場は20世紀に、ソ連のような乾燥した国を真似て作られた」と新華社が伝えているという。
オリンピックも開催され、当時それに向けてさまざまな施設の改善を行ってきたが、中国語で言う「表面工夫」(表面的飾りつけ)は熱心で、本当にぴかぴかの設備が次々と誕生したのに、地面の下はほとんど手が付けられていなかったようだ。
ふと、1990年代によく行った、北京のバーのトイレの壁に「Do Not Shit」と書かれていたのを思い出した。おちゃらけではなく、あれは文字通り「大するな」という意味だった。いや、実を言うといまだに中国のトイレでは「紙」を流さないのがルールだ。たとえ、紙が備え付けられていても、使い終わったそれはそこに置かれているゴミ箱に投げ込むのが中国なのである。
...ここで皆さんは一瞬息をのんだかもしれない。日本人のほとんどにとって想像もできないことだろうだが、中国ではトイレにトイレットペーパーを流してはならない――詰まるからだ。だから紙はゴミ箱へ。これが21世紀中国の首都の常識だ。
だから、今回の61年ぶりという暴雨(というか、この61年というのは気象台観測が始まって以来、という意味だ)を街の排水溝が処理できなかったのは、住んでいる身にとっては不思議でもなんでもなかった。だがそんな水が街の立体交差の底部に数メートルも溜まり、そこに走行中の車がはまり込んで溺死者まで出るとは、さすがに想像していなかった。さらに翌日になって目にしたニュース写真では、日頃は路上の掃除を担当しているらしき人が、腰まで浸かった池のような水の中に一人立ち、ゴミで詰まってしまった排水溝のふたを開けようとしている姿に仰天した。
確かに路上が海のようになっているときに、排水は緊急任務だろう。だが、素人目に見ても、あそこで排水溝のふたが開けば水が一挙に流れ込み、ふたを開けた本人も無事ではいられないはずだとわかる。恐ろしいことに、ここではインフラだけではなく、復旧作業すらも当事者は命を賭けながら進めなければならないという現実。そしてあの写真の主の表情からすると、本人は自分の命を賭していることに気づいているようには見えなかった、緊急事態とはいえ、作業の判断も単純に行われているようだと感じた。
その中で政府はまったく無策だった。
「61年に一度の大雨」という表現をしたのも、雨が降り終わり、大惨事が明らかになってからで、そんな大雨が12時間以上激しく降り続く間、警報や告知の努力をしなかった。当日は土曜日だったから、おかげであまり深く考えずにイベントなどに予定通りに出かけた人も多かった。しかし、わたしは登録してあるヤフーアメリカの気象情報から、「激しい雨」という、いつもとは違う表現の予報を受けていたので、心の準備をしていた。だが、北京の気象台は自分たちの市民に注意を呼びかけることすらしなかったのだ。
もちろん降り始めて起こり始めた騒ぎに、警察や政府の関連機関は慌ててさまざまな施策を講じていただろう。だが警察や消防の救援電話は通じず、人々は隣家や友人に助けを求めるか、ネット上の微博で声をかけ合い、知恵を出し合って助け合うしかなかった。
行方不明で連絡の取れない家族を探し求める人。雨と洪水にさえぎられて孤立してしまった人。洪水騒ぎの最中に妊娠中の女性が破水したと、病院までの安全な道のりを尋ねる書き込みもあった。見知らぬ人同士が情報を分け合って助け合う様子は、3・11直後の日本そっくりで、この街の人々の成熟度を再確認した。
4階の我が家は雨漏りもせず、ベランダがちょっと水浸しになったくらいで過ごすことができた。だが、わたしが暮らすような古いタイプのアパートの多くには地下室があり、そこには賃料の安さに魅かれて地方から出稼ぎにきたりした低賃金労働者が暮らしている。そんな人が地上から地下へと流れ込んだ水におぼれて亡くなったという痛ましい例も報告されている。
被害がひどかった郊外では、津波後の日本を思い出させる風景だ。山津波で家も土地もすべて流され、泥だらけになった家具が泥の上に残っているだけ。そこに行き場をなくした人が座っている。地形を無視した道路や住宅の建設、そして経済効果だけを狙った土地改造のおかげで地盤が緩み、大雨でそれが流された。これもやはり急作りの「表面工夫」のせいだった。
政府は今回、「61年に一度の大雨」を繰り返すことで天災を強調した。だが「×年に一度」という言い方は08年の四川地震以来、災害が起きるたびに使い回されてきた。市政府がすぐに「被災者救援のための募金」を呼びかけたのも四川地震で市民の間に巻き起こった募金と同情の嵐をまたここで呼び起こそうとしたのかもしれないが、市民はそれに激怒した。
首都のど真ん中で、どうしたら自家用車の中で人がおぼれて死ぬのか。2000万人もの命を預かる首都の気象台が、どうして警報すら出さなかったのか。それを問われて「技術的に無理」と気象台関係者は答えたものの、すぐに「これまで政府と市民向け警報で何度も協力してきた。技術には問題はない」と携帯電話キャリアから反論された。身近な被害を散々目にした人たちは政府が週明けに発表した「死者37人」という数字が3日も4日も更新されないなぜなのかと怒りを増幅させた。
四川地震、高速鉄道事故などの大型事故や災害で、人々はこれまで散々政府が事件の詳細に触れず、事実を知りたいと見守る人たちをけむに巻くのを見てきた。被災者のための募金もどこまで当人たちの手に渡ったのかわからない。今回政府は四川地震の際のそれを真似たとしか思えない対策しか示せず、北京市民を納得させることができなかった。
そして市民たちの間で「死者名簿を作ろう」という呼びかけが起こり、数字でははっきりとわからない、個別の死者の情報を集め始めた。これは、四川地震で校舎の下敷きになって亡くなった子供たちに対して芸術家、艾未未が行った調査手段と同じものだ。そこには一人一人の死者に尊厳を与え、一人一人の死をきちんと記録し、また数字ではあいまいにされてしまう人数の確認の意味があった。
その動きで突き上げを食らった政府は慌てて26日夜になって「死者77人」という最新統計を発表し、北京のテレビ局が確定された死者の一人一人名前を読み上げた。
だが、この街の下水道インフラをどうするのか、といった声はまだ聞こえてこない。これを書いているこの瞬間に、またものすごい雨が降り始めた。しかし、我われの携帯にはやはり気象台からの警報は届いていない。
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