コラム

習近平とジェレミー・リン

2012年04月20日(金)13時32分

 米誌「タイム」が「世界に影響を与える100人」の最新リストを発表した。それをざっと眺めて、わたしが個人的に感じたのが、1)日本人が一人も選ばれなかった、2)金正恩が!、3)習近平や汪洋ら中国の新世代指導者も、4)そしてなんとジェレミー・リンが入選!!だった。

 1)は「来る時が来たな」という感じ。日本人としてこんな感想はよろしくないのかもと思いつつ、世界における日本の存在感の急激な減少と、それに対して危機感も緊張感もない国内を眺めていると予想された範囲である。申し訳ないが、海外におけるかつての日本へのあこがれや吸引力といったものは激減しており、今かろうじて残っているようにみえるそれは「過去の遺物」でしかない。昨年の100人に入った日本人もいわゆる「フクシマ」(外国人から見た、という意味で敢えてカタカナにする)がらみの日本人だった。あのような大地震や事故、あるいは事件でも起こらない限り、今の日本の日常にある以前から持っていたものをこねくり回した使い回しばかりでは「新しい魅力」を引き出すには至らず、新たなトップ100に選ばれるような「魅力的な日本人」の出現はしばらく無理だろう。

 金正恩の入選はちょっと意外だった。それほどまでにアメリカにとって北朝鮮のプレゼンスが(良くも悪くも)高まっているということなのだろうか。父親の存命中は「若いからねぇ、彼は海のものとも山のものとも...」と言われていたけれど、その後すんなりと父の後釜におさまっているように見えるところに「やっぱり不気味である」ということか。29歳の彼がリストの「Rogues」(ならず者)という分類で世界悪の三人に選ばれたのも、祖父や父の時代からの「過去の遺産」をしょって、ということなのかもしれない。となると、今後しばらくリストに顔を出し続けるのだろう。

 三番目の習近平(次期国家主席と目されている)と汪洋(習らのライバル。次期指導層入りが予想される)は、ますます世界舞台で発言力を高めている中国の次期指導層として文字通り「世界を動かす」人だと注目されるのは当然。特に今年の指導者交代に向けて習のもう一人のライバルと言われてきた薄煕来・元重慶市党委員会書記の失脚騒ぎがそんじょそこらの小説よりも(こう言っちゃ語弊があるかもしれませんが)「中国的に面白い」分、日頃は経済やパワーバランスに興味がない人でも「中国っていったいどうなってんの?!」という興味と期待感を感じているはず。確かに今後の展開が楽しみなところだ。

 だが、「ジェレミー・リンってだれ?」と思われた方も多いだろう。3か月前なら世界中ほとんどの人が彼を知らなかった。日本ではその後の活躍についてもほとんど報道されていないようなので、特にその筋のファン以外ご存じないのは仕方がないだろう。だが、この「ジェレミー・リン」こそが今、華人社会とアメリカ社会を沸かす大きな「共通話題」なのだ。その話題性にこそ2月に公衆の目に出現したばかりの彼を「タイム」がリストアップした理由がある。

 ジェレミー・リンはIT業界に勤める台湾移民の両親から生まれた華人系アメリカ人だ。高校のバスケットチームで注目されたが、その後ハーバード大学に進学し、そこでも選手として活躍、2010年にプロ選手としてNBA入りした。しかし、その後の成績はそれほど期待されたものではなかったようで昨年末にはチームに解雇され、次に入団したチームにも試合に出ることもなくすぐに解雇された。その後「ニューヨーク・ニックス」に入団し、2月4日にけがをして引っ込んだ選手の代わりに出場したところ、36分間に25点を獲得し、観衆を狂喜させた。試合が始まった時は無名だったのに終わったころには新たなスーパースターになっていた、というところがなんともドラマチックな、シンデレラボーイだ。

 その後の活躍もめざましく、チームは彼のおかげで連勝を続けた。その勢いは彼の姓の「Lin」と「狂気のような」という意味の「Insanity」をもじった「Linsanity」と呼ばれる「ジェレミー・リン旋風」を巻き起こした。

 それに熱くなったのはNBA好きのアメリカ人だけではない。中国出身のヤオ・ミン(姚明)選手が引退してからつまらない思いを抱えていた中国、そしてジェレミーの両親の出身地の台湾でも「我らが華人スーパースター現る」と、あっという間に火が付いた。華人圏にはあっという間に彼の中国名「林書豪」が流れ込み、NBAに興味を持っていなかったジャーナリストたちは慌てて彼が何者か検索をかけたというほどだ。

 中国人ファンは「すべての華人の故郷である中国の誇り」と叫び、台湾人は「彼を生んだ台湾にとってうれしい知らせ」と大フィーバー。その思いは香港にも飛び火して、昨今のバスケットが大人気の華人社会の若者を喜ばせている。またそのフィーバーを受けて台湾の馬英九総統が、訪台したアメリカ人議員団に「我々は多くの価値観を共有している。ジェレミー・リンとか」とおべんちゃらを言ったところ、アメリカ代表団はやんわりと「(共有どころか)彼はアメリカ人です。総統」と返したという話も笑い話として流れている。

 華人社会の中では彼をアメリカ人とみるか、台湾人とみるか、さらには中国人か、という本人が関知しない論争が巻き起こっているが、それでも彼の成績に華人社会とアメリカは一緒になって湧いている。

「タイム」誌は「偏見や先入観を吹き飛ばせるのだと知らしめた好例」と表現し、またハーバード大学を出た彼が学業とプロとしてスポーツ界で好成績を収めることは両立できるのだと証明したことも彼を選んだ理由として挙げている。そして、人種にかかわらず優秀であれば夢をかなえることはできる、といういわゆる「アメリカン・ドリーム」の代表者として、若者にとってとても良いお手本だとした。

 この「アメリカン・ドリーム」。これこそ、今の中国人、特に若者がアメリカに魅かれる最大の理由だ。敢えて両者が認めるその代表例を「影響力を持つ100人」に挙げたことで、「タイム」誌はさらに中国人の期待感をうまくかきたてた。これをきっかけにさらに若者たちがアメリカへの憧れを高めていくはずだ。

 ここに中国と日本の違いを見る。未来への夢を失ってしまった日本では、当然それを実現させようとするパワーも起らない。こうして「夢」をパワーに変えていく中国と、それを奨励するアメリカの結びつきは「Linsanity」だけではない。そんなアメリカの思惑と中国との付き合い方の可能性を、いろいろと思いめぐらすことになった話題でもあった。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

訂正(発表者側の申し出)-ユニクロ、3月国内既存店

ワールド

ロシア、石油輸出施設の操業制限 ウクライナの攻撃で

ビジネス

米相互関税は世界に悪影響、交渉で一部解決も=ECB

ワールド

ミャンマー地震、死者2886人 内戦が救助の妨げに
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story