コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
「我が家の文革ミニ歴史」ブーム
先月下旬、新聞や雑誌を売るニューススタンドの前で足が止まった。そこに並んでいた政治、社会問題系の雑誌のカバーに軒並みと言っていいほど温家宝首相の写真が使われていたからだ。店先からその様子を眺め回しながら、温家宝の顔がこんなに並ぶのは久しくなかったなぁ、と感慨深かった。就任当初こそ農村改革だの、親民宰相だのと話題を振りまいて大人気だった温家宝という「人物」が、だんだんその話題も尻つぼみに終わることが増えてから、単独誌ならともかく、一度にこれだけの数の雑誌のカバーを飾ることはこの数年なかったように思う。
つまり、3月14日に行われた、全国政治協商会議と全国人民代表大会の二大政治大会閉幕後の彼の記者会見がそれだけ人々の心に残った、ということだろう。
もちろん、そのインパクトは同日の発言だけではない。それに続いて翌日早朝に重慶市で同市党委員会書記を務めていた薄熙来が「すでにこの職にない」と発表されたことも大きな理由だ。この薄の「解任」(詳細は不明だが、明らかに辞職ではないのでこう呼んでいいと思う)について中国の国内メディアにはかん口令が敷かれているらしく、それを巡る分析記事は一切出ていない。そのものずばり「事件」を語れないからこそ、ますます人々の目はそれを予言した温家宝の身に集中する。さらに過去、温家宝が訪問先の外国で口にした言葉が国内向け報道ではカットされるという「事件」も起こったことがあるが、今回の記者会見の発言の一言一句はネットで読める。
それだけではない。あの記者会見でもう一つ温の記者会見でネットが騒然となった場面があった。それは「ここ数年、体制改革について何度も語っておられるが、それはなぜか? 難点はどこにあるのか?」という外国メディアの記者の質問に答えた時だった。
「ここ数年、確かにわたしはたびたび政治体制改革についてかなり全面的に具体的に触れてきた。それはわたしの責任感からくるものだ。『四人組』を打倒して以来、歴史問題について何度か決議が行われ、改革開放も実施された。しかし、『文革』の間違いと封建的な影響は未だに完全には取り除かれていない。
経済の発展に伴ってまた、分配の不公平、誠実さの欠落、汚職腐敗などの問題が生まれた。これらの問題を解決するには経済体制の改革だけではなく、政治体制の改革、特に党と国家の指導制度の改革を行う必要があると深く感じている。現在、改革は手堅く進められているところであり、政治体制改革の成功なくして徹底的な経済制度の改革は不可能であり、(それなくば)すでに手にした成果をまた失い、社会に新たに起こった問題も根本的に解決されず、文化大革命のような歴史的悲劇が再び起こる可能性がある。責任を負った党員、そして指導幹部はそれぞれ緊迫感を持つべきだ。
もちろん、わたしは改革の難しさについて、またどんな改革も人民の覚醒、人民の支持、人民の積極性とクリエイティビティが必要であることも深く理解している。13億もの人口を持つ中国のような大国はまた、国情を鑑みて順序立ててゆっくりと社会主義民主政治を構築する必要がある。これは簡単に成し遂げられることではないが改革は前進あるのみ、停滞してはならず、後退などもってのほかだ。停滞と後退には出口はない。
わたしは、人々がわたしが何を言うのか、そしてわたしの理想や信念に注目しているだけではなく、わたしが自身の努力によってどんな目標を達成できるかを見守っていることを知っている。ここで皆さんに言っておきたい。中国の改革開放事業のために、わたしは最後の一息まで、最期の日まで奮闘していく」
ここで「文化大革命」(「文革」)が引き合いに出された瞬間、人々はどよめいた。文革についての詳細は各自検索していただくとして、すでに中国共産党内の権力闘争から全国に蔓延して庶民を巻き混んだ大粛清事件と認識されながら、公的な場ではっきりとそれを「再び繰り返してはならない」ネガティブな事例として引き合いに出す政府トップはこれまでいなかった。だから民間でもプライベートな場ではそれを否定的に語っていても、大々的に振り返って歴史的価値判断を下すような行為は学術研究などの特殊な世界を除き、慎まれてきた。
ここで温家宝があえてそれを引き合いに出して「繰り返してはならない」と語ったことは市井にその「思い」を共有したというインパクトを与え、先年胡錦濤国家主席が「折騰」(ジャートン、苦労を重ねるの意)という俗語を使ったスピーチが引き起こした驚きの何倍もの力を持っていた。「折騰」が共有したのは「表現方法」に過ぎなかった(だからそれはある種の人たちの目には「媚び」と映った)が、「文革を繰り返してはならない」という温家宝の言葉が共有したのは「中国庶民の持つ価値観」だったからだ。
その頃から温家宝を、「口ばかりで政策が伴わない演技派」という意味でつけられた「影帝」(主演男優賞受賞者)というあだ名で呼ぶ人が減ったように思う。14日の記者会見が始まったばかりの時はこの「影帝」が飛び交っていたのが、4月に入るととんと見なくなった。人々は薄熙来の一件ですっかり温の「影帝」という呼び名をすっかり忘れたかのようだ。
そして4月はじめに祖先の墓を参る習慣のある祝日、清明節の三連休を迎えた頃、中国国産マイクロブログ「微博」で、「我が家の文革ミニ歴史を語ろう」という呼びかけが起こり、それぞれのユーザーのうち年長者は自分が見たこと経験したこと、若いユーザーは周囲から聞かされた、当時家族や親戚の間で起こったこと、そして今の自分につながる家系を語り始めた。
「父は出身が悪いと区分されていたので当時嫁を見つけられなかった。その後祖父が『換婚』先を見つけ、嫁をもらう代わりに叔母をその家の10歳歳上の男に嫁がせた。相手の家も出身が悪いとされたいた家庭だった。彼らは、そしてぼくの両親も何の感情もないまま結婚したのだった」
「祖父は1937年に国民党軍に捕まり、兵隊として抗日戦線を戦った。戦争が終わると部隊とともに共産党軍に投降し、入党した。中華人民共和国建国後田舎に帰って役職についたが、文革で迫害され、耐え切れず、昔の仲間と一緒に家を捨てて福建省北部に逃亡。当時16歳だった父は祖父の代わりに街を引き回され、批判され、水攻めに遭い、非道な数々の仕打ちを受け、何度か自殺を試みたものの果たせず、心身ともに病にまとわりつかれて一生を苦しみ抜いた」
「祖父はかつて閻錫山(国民党の重鎮)の部下で大隊長まで務めたため、文革で批判され暴力を受けた。叔母や父はたびたび自分の父を侮辱する言葉を書くよう命じられ、トイレにも行かせてもらえず、夜中に墓場で一人墓守をさせられた。十数歳の時に父は一度精神錯乱に陥り、屋内の石臼につながれていた。祖母はその父に食事をさせようとしてたびたび噛みつかれ、殴られたという。その後散々な思いをして、どうにか父は治癒。ぼくらの代になっても当時助けてくれた人にいまだに感謝している」
「曽祖父は科挙で『秀才』だった人物で、村で唯一の私塾を開いていた。正月には村中の家庭が入り口に貼る対聯に彼が筆を振るったのに、文革の時に富農(批判打倒の対象の一つ)とされた。父は54年生まれだが、小さい頃から人民公社に人糞さらいをして成績を上げるように命じられた。当時人糞資源は不足しており、別の村に行ってこっそりとそれを盗んだり、それが見つかると半殺しにされた。直接肥溜めに飛び込んで捕まるのを避けようとした若者もいたという。中心地に人糞を拾いに入って丁々発止の闘争に行き当たり、集まった人たちの間で手榴弾が爆発するところを見たと言う」
「当時、祖父は村の中で唯一多少の教育を受けた人間で、会計士をしていた。文革が一番騒がれていた頃村でも誰かを殺さなければ上に向けて申し訳が立たないと、トゲのついたムチで祖父をなぶり殺しにした。父が4、5歳の頃のことだそうだ」
「母方の祖父母は牛小屋に閉じ込められたが、まだ10歳にもならなかった母は板の隙間から出入りして食事を運んだという」
「祖母の姉が軍人の妻だったので、祖母も文革で批判され、田舎に送られてそこで農村の女性たちに虐められたという。今に至るも精神的に安定しておらず、発作を繰り返している」
「ぼくは1966年生まれ(文革が始まった年)だ。生まれてから祖父に会ったこととがない。父が山東省に向けて手紙を書き続けていたことだけ覚えている。祖父は上海の聖ヨハン学院を卒業し、山東省で教職に就き、文革で亡くなった。父はそのことについて細かくは語らず、ぼくも詳しくは訊かなかった。今回の清明節に上海に里帰りしたとき、父が聖ヨハンの跡地を見たいと言い出した。祖父もぼくの両親も教師だが、小学校の頃に教師を批判する大字報を貼ったことを、ぼくは今後悔している」
......どの書き込みにも重苦しいくらいの実体験が描かれている。禁止ワードで書き込みが制限されることの多い微博でも今のところこの話題が削除されている様子はない。このまま人々が文革の記憶を語り始めるとどうなっていくのか。そこから人々の感情がどこに向かって行くのか、そして政府はそんな文革の記憶をどこへ向けて行こうとしているのか。
「文革を知り、中国を知る。まずは自分の家庭を知ることから始めよう」と、そのうちの一人は呼びかけた。かつて苦しみの過去といえば口を揃えて「日本侵略の過去」を語っていた中国の人たちは、だんだん自分たちの歴史に目を向け始めたことは間違いない。
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