コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
主役を食った助演男優〜重慶市の巻
「事実は小説よりも奇なり」なんて言葉がありますが、まー中国ほどウソみたいな本当の話が転がっているところはないのではないか。ちなみに中国ではこの言葉の中国語バージョンを聞いたことがない(バイロンの詩が原典だから翻訳語はあると思う)。たぶんそんな言葉を使う必要がないくらい、中国社会には小説みたいな実話がごろごろあるということなんだろう。
まぁ、そんな中国で起こった話で日本人をびっくりさせるのが我々の仕事(?)なわけですが、さすがに重慶市の元公安局長がアメリカ領事館に飛び込み、政治庇護を求めたというニュースにはこっちが心底驚いた。「面白さ」ではここ10年来最高の出来である。
このNWJサイトではまだ取り上げられてないようなので簡単に背景を説明すると、領事館に逃げ込んだのは王立軍元重慶市公安局長。薄煕来同市党書記(党書記は市長よりも上の地位で、文字通り市のトップである)が以前省長を務めた遼寧省から連れてきた「懐刀」だった。
この王元局長、2008年に重慶市公安局に副局長として赴任するや否や、「平安重慶」をスローガンに「打黒」、つまり犯罪取り締まり強化キャンペーンを発令して市内の「悪」を取り締まった(中国語の「黒」は「悪」に読み替えるとわかりやすい)。その最たる「功績」は、元同市公安副局長、つまり、自分の前任者であり、当時同市司法局長だった文強ら「黒い保護傘」を、汚職や犯罪組織の保護、来歴不明な巨額の資産などの罪で逮捕、文強の死刑をはじめ重刑に処したこと。10年に文強の死刑が執行された日、重慶市民は爆竹を鳴らして祝ったというくらい、王は「切れる」刀だった。
もともと前任地の遼寧省でも犯罪組織の弾圧で名をはせた王立軍は、その妻子がマフィアの報復によって生きたまま皮を剥かれたとか、惨殺されたとかの噂があった。実際にその噂を裏付けた記述はどこにもなく、最近になって政府系通信社が発行する雑誌「中国新聞週刊」の記者が、「娘が幼いころは確かに安全のためにたびたび転校させたが、すでに彼女も北京の大学を卒業して働いている」と報道している。
そんな王元局長だったからその登場を人々はもろ手を挙げて万歳を叫び拍手喝采したか、といえば、そうでもなかった。というのも、「極悪勢力」文強を追い落としたとはいえその余力は市民にも向けられ、「新聞が事実を歪曲してわが市の公安局や関係者を攻撃した場合は、当事者とその新聞社を起訴する」という厳しい姿勢を打ち出したからだ。明らかに薄煕来同市党書記の威勢を笠に着る形で、強権政府作りが進められつつあった。
だが、その薄煕来自身がこれまたカメレオンのような「色彩」を持つ人物だ。父が中国共産党の元老の一人、薄一波という「太子党」であることはよく知られているが、文化大革命時代には「造反有理」のスローガンを振りまわす紅衛兵組織に入り、その父との「断絶」を宣言して、仲間を連れて父を殴打し骨折させたことも有名だ(だが、政府が公開するこの時期の彼の履歴は「学習班に入って労働に参加した」と、かなりわざとらしくぼかされている )。このような過去を持つ薄が王立軍の「辣腕」を気に入ったのも分からんでもない。
その薄煕来が遼寧省の大連市長を務めたころから「次期トップリーダー」の一人として名前がささやかれるようになった。彼の治政下で計画経済時代の重工業都市大連はクリーンな観光及び国際的な貿易や会議センターなどの誘致によって脱皮に成功、同じようなバックグラウンドをもつ日本の北九州市や香港との関係を深めていく。当時はちょうど中国全体が産業改革、国有企業の解体などの体制大転換期にあり、その中でも特に国営工場に依存してきた東北地方の都市において、大連市は唯一大成功をおさめたトップ成長株であった。彼が遼寧省長に転出してから、中央政府が「東北振興」計画を発表したときも、大連市の成功がモデルケースとしてもてはやされた(そういえば、その「東北振興」はその後どうなったんだろう?)。
その功績を認められ、薄は胡錦涛と温家宝の政治体制が本格的に動き出した2004年に商務部長(経済貿易相)に就任。若気の至りとはいえ父を殴打したという鬼のような過去を持つわりに甘いマスクの商務部長は、08年のオリンピック前の「中国景気」に沸く一方で貿易摩擦問題を抱える世界を相手にうまく立ち回り、今に至るも当時の評価は悪くない。だが、その一方で遼寧時代に親しくしていた企業に前例のない特殊な計らいをしたことも記録されている。ま、この辺も小説の主人公としては十分なネタである。
だが、薄煕来のさらに不思議な「面目」が明らかになってきたのは、2007年に重慶市の党書記に就任したころからだ。王立軍を呼び寄せて進めた「打黒」はもとより、革命歌を歌い、革命話を語り継ぎ、その経験を重んじることを学校や市民に強要し始め、毛沢東思想を語り、市のテレビ局にも革命故事の放送を義務付けたり、と時代錯誤とも思える行動に出たのである。
さらに薄のこのような動きとほぼ同時に、一人息子、薄瓜瓜の近況が流れ始めると、人々は彼の「真意」を疑い始めた。というのも、この「ボー・グワグワ」という、中国人が聞いても奇妙に思える名前を持つ80年代生まれの青年は早くしてイギリスの貴族学校に中国初の学生として留学した後、オックスフォード大に進み、現在はアメリカのハーバード大で学んでいるからだ。父親が重慶市郊外の農村で「農村で汗を流して働くことには意義がある」と唱えているその瞬間、その息子はアメリカで乱痴気パーティを楽しんでいるという対比は、上の世代にも不遜で下の世代にも無責任な「太子党」オヤジへの不信感を一挙に人々に植え付けた。
そんなだから、その「懐刀」だったはずの王立軍の「アメリカ領事館への政治庇護駆け込み」は一瞬にして注目の的となった。
あとで皆がはた、と気づいたのだが、その伏線はすでに1週間前に敷かれていた。2月2日に突然、同市政府は王立軍が「公安局長の職を辞し、今後は文科担当の副市長職に専念する」と発表していたからだ。公安筋一本だった王が突然文化関連職に専念するという予想を超えた人事に、「これは薄煕来が今年行われる政府トップの交代に際して中央入りするための伏線だ。公安関係者という身分ではなく政治官吏として王立軍を中央に連れて行くつもりだろう」とわたしは考えていた。
その王がなぜ2月6日になって、中央政府ではなくアメリカに「寝返った」のか?
実はそこのところがまだ明らかになっていない。ただ、彼が中央政府にも薄煕来にも「頼れない」事態に陥っていたことだけは確実だ。王立軍のアメリカ駐成都領事館の駆け込みは、米国に拠点を置く、元天安門事件関係者が開設したニュースサイト「博訊」が第一報を伝えた。さらに、ちょうど退勤ラッシュ時にあった成都市民が中国国内マイクロブログ「微博」に流した、「アメリカ領事館付近が厳戒態勢に置かれている」「路上が大渋滞に陥っている」という情報に注目が集まり、同領事館で何かが起こっていることは確実だった。
後で明らかになった情報によると、その時領事館を包囲していたのは、薄煕来の重慶市政府が放った「追手」だったという。その後一晩おいて王は説得に応じて中央政府の関係者に引き渡され(アメリカ領事館側は「王は自己意志で領事館を出て行った」と説明)、そのまま北京に連行された。しかし、この時点ですでに領事館駆け込みは公然の秘密になっていたにも関わらず、重慶市政府は「王立軍は過労が原因で、休暇型の休養に入った」と発表。この持って回ったような「休暇型休養」という言い方のわざとらしさはネットの流行語になった。
そしてその翌日、中央政府が外国メディアから殺到した問い合わせに答える形で、すでに王に対して「外国領事館で夜を越したことに対する調査中」であることを明らかにし、「休暇型休養」は発表からわずか1日で「切り上げ」られた形となる。その後、中央政府の関係者は香港紙に対し、王立軍が「非常に深刻な政治問題」に問われていると語ったそうだがまだ正式な発表はない。
さて、中央政府にも重用された薄煕来にも頼れなかった王立軍の運命やいかに? 一説によると、今回のドラマには、中央政府入りを目指した薄煕来が内情を知る王を「とかげのしっぽ切り」しようとした結果失敗して、中央にその王を取り込まれてしまったという筋書きがあるという。その一方で、中央政府の「誰か」が表面的には政治成績優秀な薄の中央政府入りを防ぐために、王に近づき内情暴露を迫ったため、という説もある。さらにその動きに気づいた薄が王の暗殺を試みた、と、もう世の中みな小説家ばりの話も流れている。
だが、そのどれにしても「現中央政府vs薄煕来」という構図の存在が明らかになった。実際に薄煕来が重慶市党トップに就任して以来、胡錦涛や温家宝は重慶市を一度も訪れていないことをその証拠に挙げる人もいる。だが、薄煕来はその後も重慶市を訪れたハーパー・カナダ首相、ベトナム政府トップと会談し、(見たところ)堂々たる政治への野心を印象付けている。その強気の姿勢を支えるものはいったいなんなのか。
同じ「太子党」の習近平の次期トップ就任は揺るがせない事実となった今、薄煕来の中央入りはあるのか、それともこれから政権交代までの半年間に新たな場面が切り開かれるのか。思わぬ脇役の「迷演技」で、今まで次期政権話にはまったく興味がなかったわたしも話の展開が気になるところである。
この筆者のコラム
天安門事件、25周年 2014.06.08
日本はどれほど「アジア」を知っているのか? 2014.06.02
「先祖返り」する習近平体制 2014.05.21
大陸と香港、深い隔たり 2014.05.09
中国的歴史認識とポピュリズム 2014.04.26
中国の夢、それぞれの日々 2014.04.11
グレーゾーンvsグレーゾーン:それがこの国? 2014.04.02