コラム

中国を消化できない日本メディア

2011年12月20日(火)07時00分

 首相就任後の野田氏の訪中計画が二転三転したが、やっと今月12、13日訪中が決まったかと思われた12月初めにまたも延期が発表されたとき、日本メディアの多くが「13日が南京事件74周年にあたるためではないか」という憶測を流していたのに驚いた。いや、すんなり来る理由じゃないか、と日本の読者は思うかもしれないが、お手軽に読者にとってそんな「すんなり」な理由付けをしてしまったメディア(そして、一部には日本の外務省関係者がそう分析したと書いてある)が問題なのだ。

 これがもし5年前ならわたしもそれを受け入れたかもしれないが、ここ数年きちんと中国を観察してきたのであれば、今の中国において政府から民間レベルまでそれどころではないことは十分わかるはずだからだ。

 まず、民間。最近、中国政府は(まるで民主主義国のように)民間の声に気を使うかのような言説もよく出現するようになった。しかし、実際に昨年秋の尖閣沖における漁船と海上保安庁の巡視船衝突事故をきっかけに起こったデモを思い出すといい。最初は確かに尖閣の事件から始まった。しかし、北京では柳条湖事件記念日当日にデモが呼びかけられたにも関わらず、デモ参加者数は集まったメディア関係者を下回った。さらにその呼びかけが地方へ飛び火するうちに、シュプレヒコールは高騰する不動産価格への不満や官吏の汚職に対する批判に変わり、慌てた当局は情報封鎖によってそれを鎮静させるしかなかった。

 その後北アフリカや中東で連鎖的に起こったジャスミン革命は、「次は中国」と世界がささやき始めると、中国政府も警戒感を強めた。そして、インターネット上で海外の反中国政府派が「中国でもジャスミン革命を!」と中国語で煽り始めると、あっという間に国内のネット言論空間で激しい取り締まりが始まった。それは「ジャスミン集会」関連の情報を転送した回数の多さによって具体的に拘留期間が延びるというもので、中国のネットオピニオンリーダーたちは異口同音に「今年は間違いなく中国の言論界において暗黒の一年だった」と断言する。

 多くの人たちが連行、逮捕され、今もまだ行方不明、あるいは拘束のままだ。4月に起こった芸術家、艾未未(詳細はこちら)の突然の拘束も事態を見守る人々を震え上がらせた。やっと拘束が解けても監禁、軟禁、監視の中に置かれ、インターネット上での発言が許されるようになった人も以前とはうって変ったように一言一言を注意深く選んで発言する。それらをきちんと読んでいれば、どれほど中国の民間が委縮しているかがよく分かるはずなのだ。

 ならば、インターネットの外の人々はどうか。

「今年は天安門事件直後の中国そっくり。あの時のようにみなが移民先を探している」と言ったのは、まだ20代のエンジニアだ。彼らのような高学歴の技術者のもとには毎日のように移民コンサルタントからメールやメッセージが届くという。今年初めの金融引締めにより不動産が値下がりしたと報道されているが、彼らはとっくに不動産購入に興味を失い、移民先を見つけることが第一目標になっている。

 すでに不動産を購入した人たちは月収のほとんどを高いローン支払いに充てているというのに、ここにきて不動産が値下がりしていることに不満を感じている。これまでは実質的に売り手市場だった中国の不動産市場において、買い手は「不動産は常に値上がりするもの」というイメージを刷り込まれてきた。歯を食いしばってやっと買ったマンションのすぐ隣に同じ業者が建てたマンションが、自分のそれより安く売られている現実を受け入れられない。開発業者の事務所には怒り心頭のマンションの住民たちが押し掛けている。

 それでも銀行はウハウハなのか、と言えばそうでもない。来年は温家宝首相が「4兆元経済振興プロジェクト」をぶち上げた08年以降に地方政府に貸し付けた多くが返済期を迎える。中国では一般に中央政府が呼びかけたプロジェクトであっても、その全予算のうち4分の1しか出さないとされる。残りの4分の3はプロジェクトを割り当てられた地方政府が直接銀行からの借入金で賄うのだが、それでも地方はその4分の1がほしくてたまらず、プロジェクトの誘致に精を出す。

 銀行関係者に聞いた話だが、そんな地方政府はほとんどが、利子が安く済むからと最短期間の返済プランを選ぶ。それが3年期、つまり同プロジェクトが本格的に進められた09年から数えて3年目が来年にあたる。しかし、多くの経済アナリストたちが指摘するように、それらのプロジェクトのほとんどは今のところまだ完成しておらず、あるいは収益を得るには至っておらず、当然返済のあてはない。いや一説によると、地方政府の関係者には「返済」の意識はあまりなく、プロジェクトをまず自分の代で完成させて政治的手柄にし、返済は次の代にさせればよい、と軽く考えている節が見られるという。彼らにとって、「金は天下のまわりもの」なのだ。

 結局、この地方債は中央政府がぶち上げた大規模プロジェクトのおかげで国有の銀行(の地方支店)が地方政府に「人質」に取られた格好になっており、最終的には中央がすべてかぶることになるのではないか、と言われている。さらには、同プロジェクト発令とともに緩和された銀行融資のおかげで民間にも大量の資金が流れ込んだ。これがここ2、3年の急激なインフレにつながったが、今年初めの金融引締めで今度は資金サイクルが破たんし、夜逃げする企業主や自殺者まで出始めた。いやそれだけではなく、国から優先的にプロジェクト予算を受けることができた国有企業も、それを資金サイクルに大量に横流し、それも焦げ付き始めていることが明らかになってきた。

 一方、件の4兆元経済振興プロジェクトには実際に役に立つものは出来上がっておらず、地方都市では放置され、ゴーストタウンのようになった工業団地や別荘地の様子が報道されている。中央政府はこの自らが播いた種をどう収拾つけるか、の厳しい局面に直面しており、今さら74年前の歴史に忸怩する時間的余裕も、精神的余裕も、さらには戦略的余裕もまったくない状態なのだ。12日に開幕した中央経済工作会議でその処置が真剣に話し合われたはずだ、というのは、世界中のメディアの一致した見方だった。

 今回の報道の様子からすれば、歴史的トラウマを抱えているのは今や日本のメディアであり、プロとして中国を日々観察して分析、報道する感覚が完全に鈍っていると言わざるを得ない。もちろん、野田首相の訪中は日中間の政治行事であり、日本国内の対中事情、そして中国国内の対日事情を背負って行われることは間違いない。しかし、その情報の要となるメディアが、いつまでもずるずると古くさい意識に覆われ、目の前で起こっていることを消化できずに報道の主導権を握っているという現状は、もっともっと読み手に認識されるべきだろう。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

国連、雨季到来前に迅速な援助呼びかけ 死者3000

ビジネス

日経平均は続伸で寄り付く、米関税警戒で伸び悩みも

ビジネス

関税の影響を懸念、ハードデータなお堅調も=シカゴ連

ビジネス

マネタリーベース、3月は前年比3.1%減 7カ月連
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story