コラム

ネット焚書の時代

2011年11月20日(日)07時00分

 前回のこのコラムで、芸術家艾未未が「和諧」(ハーモニーの意)と中国語で同音の「河蟹」(サワガニ)に引っ掛けて、昨年秋に上海で「上海ガニパーティ」を企画したことに触れた。この「河蟹」は中国でインターネットを利用する若者なら絶対に知っている「ネット暗語」だ。

「和諧」は、現中国共産党主席である胡錦涛が政権を握った2004年に社会不安の元になりつつあった地域や階層間の格差や官僚の腐敗を一掃し、「調和のとれた社会づくりを目指す」という意味の「和諧社会」をスローガンに掲げて以来、人々の口に上るようになった。しかし、大いなる上意下達型の中国の社会体制において、いつしか「調和がとれた社会づくり」は官僚たちにとっての「自分の持ち場で自分が責任追及を受けるような問題が起きないこと」という意に置き換えられ、コトが起きてもその情報が広がる前に当局関係者がもみ消すことに躍起になり始めた。

 2004年と言えば、中国では雑誌や新聞が多く刊行され、それまで「鉄碗飯」と言われていた発行元の国営機関の内部購読に頼らず、メディアが独自に読者層を切り広げていこうとし始めた時期と重なる。急速な媒体の拡大は大量の「読まれる」書き手の需要を生み出し、即戦力として目をつけられたのがインターネットの人気ブロガーたちだった。当時インターネットが中国に普及するようになってまだ5年余り、そうしてメディア入りした、若い大卒者たち(中国の大学進学率は今でもまだ30%程度)を中心にネットに慣れ親しんだ人たちが今や経験を積み、中国のメディア界を支えている。

 つまり、「和諧社会」の新たな解釈が普及するのと、ネットフレンドリーの若者のメディア入りが平行して進んだ結果、事件や事故の最先端取材をする人たちが見聞きしたことが直接ネットにも流れるようになった。その現場では「官僚のための和諧」、つまりもみ消しが日常的に行われ、そのような行為がインターネット上で揶揄を込めて「和諧」と形容されるようになる。さらに自分の記事やネットへの書き込みがそのもみ消しにあうと、「被和諧」(和諧された)と呼ぶようになった。

「河蟹」はその自虐バージョンといえる。「He Xie」(フー・シエ)という発音が「和諧」と全く同じことから、政治用語的な「和諧」ではなくわざわざ「河蟹」という言葉を使うとき、そこには官僚たちの必死のもみ消し行為をあざ笑う、庶民の気持ちが込められる。だから、それをさらにもじった、艾未未のインターネットを使った「万人上海ガニパーティ」参加呼びかけは大きな注目を浴びたのだ。

 インターネットは今や、禁止用語のキーワード検索で管理される。国内の企業が運営する「微博」と呼ばれるツイッターのようなマイクロブログでも、艾未未や劉暁波などの「時の人」の名前を連呼したり、その他「敏感用語」(センシティブワード)を多用すれば、書き込みだけではなくアカウントも何の予告もなく削除される。それをうまくすり抜け、自分が伝えたい情報を伝播させるために、ネット世代は新聞や雑誌では使われることのない書き換え言葉を自由自在に作り上げていく。

 たとえば、政府が目をつけた民間オピニオンリーダーや抗議者などには「国保」が付く。この「国保」とは「国」がかけてくれる「保険」ではない、「国内安全保衛支隊」という公安当局の末端監視機関だ。だが、「国保」(Guo Bao)がいつのまにやら「国宝」(Guo Bao)になり、国宝といえばジャイアントパンダ...と、ものものしい公安機関がネット上で「熊猫」(パンダ)と呼ばれるようになった。最近でも前回取り上げた艾未未にかけられた巨額の「脱税」疑惑という「圧力」(Ya Li)を洋ナシの一種「鴨梨」(Ya Li)にたとえ、艾未未の頭上に大きなナシが乗っかった、支援者の手によるイラストも上出来だった。

 また今年初めの中東・北アフリカでのジャスミン革命騒ぎの時に、中国でも匿名のアカウントでジャスミン集会が呼びかけられたとき、その集会の詳細情報の伝播を防ごうと国内のサイトでは「今天」(今日)「明天」(明日)といった言葉が禁止用語になり、それを使った書き込みが軒並み「和諧」された。

 想像してほしい、「今日」や「明日」と書いただけで削除されるネットとはいったいどんなものなのか......その時に誰かがつぶやいた、「未来のない世界を生きるぼくたち」という言葉は、焚書の歴史を持つ中国の今における最大の皮肉であろう。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

インタビュー:インドネシアLNG開発事業に生産能力

ワールド

中国が台湾批判、「半導体産業を米国に売り渡し」

ビジネス

中国、大手国有銀などに4000億元注入へ=BBG

ビジネス

アングル:米国債利回り上昇にブレーキ、成長懸念や利
MAGAZINE
特集:破壊王マスク
特集:破壊王マスク
2025年3月 4日号(2/26発売)

「政府効率化省」トップとして米政府機関に大ナタ。イーロン・マスクは救世主か、破壊神か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    富裕層を知り尽くした辞めゴールドマンが「避けたほうがいい」と断言する金融商品
  • 2
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チームが発表【最新研究】
  • 3
    障がいで歩けない子犬が、補助具で「初めて歩く」映像...嬉しそうな姿に感動する人が続出
  • 4
    東京の男子高校生と地方の女子の間のとてつもない教…
  • 5
    「縛られて刃物で...」斬首されたキリスト教徒70人の…
  • 6
    日本人アーティストが大躍進...NYファッションショー…
  • 7
    見逃さないで...犬があなたを愛している「11のサイン…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    【クイズ】アメリカで2番目に「人口が多い」都市はど…
  • 10
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 5
    障がいで歩けない子犬が、補助具で「初めて歩く」映…
  • 6
    富裕層を知り尽くした辞めゴールドマンが「避けたほ…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 10
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story