コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
その男、危険につき
中国当局はなぜこんな失策をしでかしたのだろう。
11月15日までに1552万人民元(約1億8千万円あまり)の支払いを命じられたとされる、中国の芸術家艾未未氏のもとに、その通告からわずか1週間余りでなんと600万人民元を超える募金が集まった。艾氏はこの募金を「借入金」、そして募金者を「債権主」と呼び、「無利子だが1年後に0.01元に至るまで返済する」と公言している。
本人ではなく、彼の支援者が呼びかけたこの「艾未未の債権主になろう」活動は、ここ半年ほど彼の周囲を覆っていた暗い気分を一挙に吹き飛ばした。募金額とその募金者数は1日2回、午前と午後に支援者によってツイッターを通じて1ケタに至るまで報告されている。
それらは中国最大のオンライン決済サービスである「アリペイ」や、支援者個人の中国建設銀行口座、さらに郵便送金を通じて届けられる。一時は外国からの送金も考慮して国際的な決済サービス「ペイパル」も利用されていたが、あまりの数の少額入金に驚いたペイパル側が口座を凍結してしまった。一方で中国政府の管理下にある支払いシステムや銀行、郵便局を通じた募金は封鎖されることなく続いており、支援者によると、一度に700件を超える支払い通知を配達してきた担当郵便局の局員が、「通知書を数えている脇で次々とさらに局に届くんだ」と泣きそうな顔をしていたという。
この騒ぎは艾未未本人が今年4月3日に出国しようとして北京空港で拘束されたことから始まった。もともと北京オリンピックのメインスタジアム「バードネスト」の設計デザインにかかわり、一躍注目される有名人となった彼が、オリンピックの年に起きた四川地震やチベット騒乱、さらに(ほとんど日本では報じられていないが)警察で受けた暴行に報復して警官を殺し、スピード裁判で死刑になった若者の事件などにおける政府の対応に不満を表明し、オリンピック開会式不参加を公的に表明した頃から、彼はただの「芸術家」ではなくなった。
まず、四川地震で手抜き工事のために崩壊した校舎の犠牲になった五千人を超える子供たちの聞き取り調査を、ボランティアを募って始めた。活動にかかる費用をすべて負担し、犠牲者一人一人の名前、生年月日、亡くなった場所と死亡時の年齢などをリスト化、政府が一切公開しようとしなかった子供たちの記録をインターネットで公開し、その名前を読み上げて録音するという公開パフォーマンスを呼びかけた。さらに拘束されるまで、ツイッターで毎日未明にその日に誕生日を迎えるはずだった子供たちの名前と亡くなった年齢、所属学校名をつぶやくという作業を繰り返した。これらはすべて、政府当局が数字で一括りにして正視しなかった犠牲者一人一人の存在を尊厳あるものに変える行為となった。
さらに、同様に地震で亡くなった子供たちの情報掘り起こしを進めて逮捕された民間活動家の裁判に弁護側証人として出廷しようとしたところを現地当局に妨害され、後にその際に受けた暴行による血栓を取り除くため、展覧会のために訪れたドイツのベルリンで緊急脳外科手術を受けた。彼はそんな暴行の過程、そして緊急手術前後の様子をすべてインターネットを通じて中継公開し、多くの人たちに向けて「事実」を伝える「パフォーマンス」を展開するようになる。
そうやって彼がやってきたのはある意味、社会活動家としてのそれであった。社会の不正と戦い、社会の暗黒面を公にさらし、さらに政府のサボタージュを指摘する。そんな活動家はこれまで中国にもいた。しかし、艾が注目されたのはそういった活動家も必ず直面してきたであろう、理不尽な政府とのやりとりや圧力をビデオや録音にとり、インターネットを通じて無料公開したことだ。前述したような暴行の過程や自分の手術の所見など自分の周りで起こった事件を敢えてプライバシーとともに公開することで、それを自分への同情ではなく、見る者たちのシンパシーと勇気へと変えていく稀代の媒介役となったのだ。
その後、数々の彼の「パフォーマンス」に業を煮やした当局関係者は昨年秋、「オリンピック有名人」だった彼を誘致して作らせた上海のアトリエ取り壊しを一方的に通知。全国各地で政府による民家の強制取り壊しとそれに抵抗する住民との事件が続発している中、彼は完成から1年経っていなかったそのアトリエで万人無料招待の「上海ガニパーティ」を企画。「政府につぶされる」という意味で使われるようになった「和諧」(ハーモニー)と同音のネット暗語「河蟹」にひっかけ、さらに上海というお土地柄から「上海ガニをみなで食べよう」というユーモラスなパフォーマンスへの参加呼びかけに、千人近いネットユーザーが集まった。
そのあまりの勢いに当局は艾を北京のアトリエに軟禁、艾自身は上海に向かうことがかなわなかったが、カニパーティは支援者が運営、インターネットで生中継されたその様子を眺めながら艾も自宅でカニにむしゃぶりつく様子をまたインターネットで公開して、支援者たちを喜ばせた。
艾は当局に立ち向かうときなど危険が予想される場には、自分とコアな支援者だけで赴く。そしてその様子をビデオに撮り、コンピュータの前に座る万人にさらす、という方法をとる。数に頼らず、また無頼に負けず、さらには政府が強要してくる「空気」も読まず、いつも論理的な質問を相手にぶつけて回答を求める。多くの中国人がひるんでしまうような場面でも、強面とでっぷり太った体躯を利用して艾はぐいぐいと相手を追い詰める。多くの人たちが日常の生活で見慣れ、聞き慣れ、すでに麻痺しかけていた「力のぶつかり合い」の場面に艾は論理と遊びを持ち込んだ。見る者にとっては痛快だった。
そうして勇気をもらった人たちが艾のそばに集まり始める。当局が一番恐れているのがこれだった。「一人や二人の反抗者は逮捕してしまえば恐れるに足りない」、長年の経験からそういう考えが出来上がっていたはずだ。しかし、芸術家としての艾の茶目っ気と行動力が人々を魅了し、その魅力が人々に勇気や力をもたらすようになると、当局にとって事態は深刻となった。
艾はリーダーを目指したわけではなかったが、危険が予想される場所にはいつもまず自ら出かけていく姿勢が人々の行動の指標となった。海外でもその活動が報道されるようになり、芸術家としても地震の犠牲になった子供たちの遺品を使った作品など、多くのインスタレーション作品を発表し、注目を集める。目にしたものを外へ伝えていくことで生まれる共感と勇気、それを艾の存在が代表した。
4月、その艾の拘束は人々を不安に陥れた。81日後に当局は「脱税を認めた」と当局は勝利宣言を発表して艾を釈放したが、拘束中の尋問は税金のことより、今年初めに中東で起こったジャスミン革命に刺激されて中国でも呼びかけられた「ジャスミン集会」首謀者についてだったことを、彼はその後海外メディアに明らかにしている。 また、その「脱税」容疑も彼が所属し、夫人が代表を務める設計会社に対するもので、艾個人を対象にしたものでないことは当局も認めている。
しかし、今月1日に艾自身がツイッターやその他のマイクロブログを通じて明らかにした、1522万元の支払い命令。釈放以来ほとんど自分の身の回りに起こったことをつぶやいてこなかった彼の「メッセージ」に人々は奮い立った。そして届いた募金は9日深夜の時点で670万元を超え、「債権主」は約2万5千人に達しつつある。その中にはスタジオの塀の外から飛んできた紙幣の紙飛行機も含まれている。
再びどっと押し寄せた支援者を艾はスタジオのドアを開放して受け入れた。その様子は西洋メディアで毎日のように報道されているが、その中での彼はカメラには向き合わず、記者と語り合う姿も流れない。釈放時に当局が求めた「メディアの取材を受けない」という条件への対応なのだろう。しかし、ニューススタジオからの「電話」は受け、記者と「立ち話」はする。だが、「ほら、インタビューを受けてるわけじゃない。友達とおしゃべりしてるだけ(それをどこかに発表するのはその人の勝手。おれの知ったこっちゃない)」という態度なのだ。
彼の設計会社では、規定の支払いをまず済ませて初めて可能になる、「脱税」容疑に対する再審議を求めるそうだ。その支払いにこの「借入金」を使うつもりはないが、彼のために投げ込まれたこれらのお金は支援者の意思表明の投票用紙であり、これを無駄にするつもりはないと彼は語る。
お札を「清き一票」に変えてしまったこの芸術家、やはりただ者ではない。そんな男を泳がせてしまった当局は、これからまたぬらりくらりと当局の網の目をすり抜けていく彼に手を焼くことだろう。そして我々は、再びその思いもよらぬパフォーマンスに驚かされ、感心させられるのだろう。
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