コラム

消された記事

2011年06月20日(月)07時00分

 5月1日、「ビン・ラディンが射殺された」というニュースが流れ、世界中がオバマ大統領の正式なコメント発表をいまかいまかと待っていた頃、ホワイトハウスの内部事情を25歳の中国人女性インターンが目にしていた――。先週、こんな刺激的なニュースが中国の英字紙「チャイナデイリー」に掲載され、ネットを中心にちょっとした騒ぎを引き起こした。

 記事によると、四川省成都市出身の龔曉思(ゴン・シャオスー)さんが5月初めに「アメリカ政府がインターンとして受け入れた、世界の女性成功者たち26人のうちの一人として」ホワイトハウスに滞在し、そこで「殺害現場の写真をたくさん見てぞっと」し、また「米国政府が写真を発表しなかったことにも注目し」たという。さらに、この26人にはパキスタンからの参加者もおり、「米政府関係者の行為は彼女の気持ちを踏みにじ」り、「パキスタン人インターンがもし過激な人物ならば、きっと報復心を芽生えさせたはず」という龔さんの分析も伝えている。

 しかし、この報道に米国事情に詳しいネットユーザーから、「ホワイトハウスでは米国籍のインターンしか受け入れていない。中国籍の彼女はウソをついている」というクレームがついた。さらに、同紙記事では龔さんの「インターン」期間は10日間だったとあるが、一般常識で考えて、わずか10日期限の臨時「インターン」が、アメリカ政府中枢でどうやったら「首脳たちが最終決定を下す様子」を見ることができるのか? さらに彼女自身が「ホワイトハウスは発表しなかった」というほど重要機密の「殺害写真」を「インターン」が目にすることができるだろうか? 多少の分別を持つ人ならだれでも首をひねるだろう。

 記事では、龔さんは「成都市の企業家の家に生まれ、17歳で米コロンビア大学に入学し、高級ファッションブランド、グッチのデザイナーになった」という。そして2008年には中国に戻って家業の機械工業ビジネスを継いでから、年間20~30%の成長を見せているそうだ。確かにインターネットで検索すると、愛車ベンツの運転席でにっこりほほ笑む彼女が新聞記事になっていたり、昨年末に中国の雑誌が主催した「グローバル企業家サミット」なるシンポジウムで講演する彼女の姿もあった。

 しかし、何かヘンなのだ。急激な経済成長の中で思いもよらぬ人物が出現して世間の視線を集めることがよくある中国においても、なんだかおかしい。その、東アジア文化を学んだというコロンビア大学の経歴も、「グッチのニューヨークのマーケティング部門から抜擢されて香港に赴き、アジアで一番若いデザイナーになった」という話も、その1年後には成都に帰って年商5000万人民元を超える機械メーカーをさらに成功に導き、60年代や70年代生まれの世界各国の女性リーダーたちに交じって「ホワイトハウスでインターン生活を送った」という話も、よくできてはいるがあまりにも脈絡がなさすぎる。そこにウェブユーザーたちが食らいついた。

 すると出てくる、出てくる...「グッチの最年少デザイナー」と最初に報道した新聞社が「グッチ本社に事実確認せずに記事を流した」ことを謝罪した記事、「コロンビア大学の卒業者名簿には彼女の名前はない」というタレこみ、さらには国産マイクロブログアカウントに「インターン開始日」からわずか4日後に彼女自身が書きこんだ「明日はホワイトハウスでの最後の日」という言葉...一体、「10日間のインターン」はどこから出てきた話なのだろう?

 さらに「ホワイトハウスの中国人インターン」を英語でネット検索してみたところ、中国発行の英字紙報道ばかりで英米紙のものは一切なかった。龔さんの記事以外にも、民間不動産会社が「ホワイトハウスでインターンができる」と銘打ったツアー参加者を募集しているものすらある。中国人にとって「ホワイトハウスのインターン」がどんなに魅力的な存在なのかがよく分かる。しかし、この民間ツアーの主催者もその後、「インターンではない。誤解があった」と正式に弁明した記録があった。

 そんなことをしているうちに記事掲載の2日後、件の「チャイナ・デイリー」の英文記事は忽然と削除された。前述の米国事情通によると、「5月初めに彼女が訪米プログラムに参加してホワイトハウスを訪れていたのは間違いない。しかし、それは訪問客としての身分であり、研修生つまりインターンではなかった。彼女の経歴を見るところ、少々誇張癖があるようだね」

 結局この騒ぎで消されたのは、「インターン」という言葉だったのか。それとも龔曉思という女性の経歴だったのだろうか。あるいは中国メディアの想像力だったのか。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

韓国クーパン、顧客情報大量流出で11.8億ドルの補

ワールド

尹前大統領の妻、金品見返りに国政介入 韓国特別検が

ビジネス

日経平均は反落、需給面での売りが重し 次第にもみ合

ビジネス

午後3時のドルは156円前半、年末年始の円先安観も
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    アメリカで肥満は減ったのに、なぜ糖尿病は増えてい…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story