それでも、西行が善通寺近くに庵を結んで松に歌を詠みかけたという〈共同体の記憶〉がとても重要なのである。その記憶を呼び起こすために現在の「久の松」はあるのだと思う。
確かに日本にはパンテオン宮殿もコロッセオも存在しない。
しかし、随筆や物語、日記などの記録のほか、絵画や芸能などに、廃墟化する/した建造物や都市、そして、それと向き合う人々の眼差しが記し留められ、そうしたテクストやイメージを含みこんで〈共同体の記憶〉が構築されている。
そこには、廃墟と向き合う人々の苦悩や哀惜、祈り、また、廃墟を乗り越えていこうとする意思や希望なども絡みついている。
勤務先の立正大学がウズベキスタンで仏教遺跡の発掘をしている関係で、彼の地を訪れたことがある。同国はシルクロードのオアシス国家として、その歴史は古く、「文明の十字路」と称される。
現在は、90%以上の国民がムスリムだが、2~3世紀ごろに仏教文化の最盛期を迎え、砂漠の中に巨大な古代寺院や塔などの仏教遺跡が数多く眠っていた。仏教伝来以前の都市遺跡もある。
アムダリヤ川の向こうはアフガニスタンという遺跡に立つと、文化の創造、信仰、戦争、破壊、復興、再生という人の営みが、途方もない時間、延々と続いているのだという思いが駆けめぐった。
ウズベキスタンでは11世紀にはイスラム王朝が成立した。美しいイスラムの古都として著名なサマルカンドも、廃墟化と復興を繰り返している。
同地を訪れて、モスクや神学校の「サマルカンドブルー」と呼ばれる鮮やかな青色タイルの世界に包まれると、まさしく夢見心地になるが、ここで手にした絵ハガキに愕然とした。
一枚の絵ハガキの上半分は復興前、下半分には現在の美しく輝く建造物の写真が印刷されていたのである。
なぜ?まだ答えは出ない。
『廃墟の文化史』掲載の嚴仁卿(韓国の現代文学)や板倉聖哲(前近代中国美術史)のコラムを見ると、同じ東アジアと言っても、廃墟に向ける眼差しは日本と同じではなさそうである。
また、そこに対置されるヨーロッパの把握も大雑把に過ぎるだろう。そうした比較文化史的な土俵に載せるためにも、まずは日本の廃墟論が必要なのではないかと考えている。
渡邉裕美子(Yumiko Watanabe)
立正大学文学部教授。博士(文学)。専攻は、和歌文学・中世文学。編著に『『源氏物語』創成と記憶 平安から江戸まで』(花鳥社)、監修に『ときめく百人一首図鑑』(ナツメ社)、著書に『藤原俊成』(コレクション日本歌人選、笠間書院)、『歌が権力の象徴になるとき―屛風歌・障子歌の世界―』(角川学芸出版)、『新古今時代の表現方法』(笠間書院、本書で角川源義賞受賞)など。
※本書は2023年度サントリー文化財団研究助成「学問の未来を拓く」の成果書籍です。
『廃墟の文化史』
木下華子、山本聡美、渡邉裕美子[編]
勉誠社[刊]
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