もうひとつの事例も同じく著作権に関わる、こちらは私の友人が巻き込まれた事件である。
大学の出版物に投稿した論文が米国で出版されている先行文献の剽窃とみなされて学内のコンプライアンス委員会に通報され、懲戒解雇処分になってしまったという事案である。この処分を不当として訴訟を起こしたものの、一審の東京地裁では主張が認められず敗訴し、現在東京高裁に控訴して係争中である。
解雇の不当性を争う裁判なので、基本は労働法の案件ではあるが、少なくともこの解雇にいたる事実関係の中心にあるのは著作権問題であり、そこで下された不正という判断は、音楽研究のみならずおよそ人文学の研究に関わる者には由々しき大事である。
というのも、ここで問題とされた先行文献の使い方は、この分野ではかなり普通に行われているものだからである。
もちろん、研究論文はオリジナルなものでなければならず、他人が言っていることと自分の言っていることとはっきり区別し、典拠を示さなければならないというのは、研究のイロハであり、全くもって「正論」には違いない。
だが人文学の場合、実際にはその記載がどこまで求められるかの線引きにはかなりのグレーゾーンがある。
たとえば「バッハの《マタイ受難曲》は1729年に初演された」と書くとき、ほとんど全ての人は自分で上演記録を調べたわけでもなく、何かの文献から得た知識を流用しているに違いないが、その際に典拠を記載するというようなことはまずない。
もちろんそれは、個人の所有物ではない「歴史的事実」とみなされているからであるともいえるが、それも実は決定的なポイントというわけではない。
《マタイ受難曲》は長いこと1729年初演とされてきたが、実は1727年であったという説が1970年代に登場し、ひとしきり議論になった。
「1729年説」は1829年に復活上演が行われる際に「100周年」の年として大々的に祝われる中で定着していったということが明らかにされたのである。仮にこのあたりの経緯をテーマとした論文であれば、これは「歴史的事実」などではなく、典拠を抜きにして言及するようなことはありえないということになるだろう。
学術論文の「プロ」の読み手たちはそのように、論文の目的や性格、当該分野の研究状況や書き手のクセなども考慮して論の微妙な呼吸をよみとり、論証の中での当該の箇所の位置や役割をはかりつつ、妥当性を判定する。
今回の問題論文は、これまでほとんど顧みられてこなかった古典文献の内容を紹介し、その歴史的意義を論じる趣旨のものであるから、著者の生涯など、中心的な論点に関わらない背景記述の部分では、先行研究を主たるよりどころに、それをまとめ直しながら記述を進めてゆくのはむしろごく一般的なやり方である。
文章の巧拙などもあり、その関係が多少わかりにくい部分などもあるにせよ、この種の論文を読み慣れた「プロ」の読者であれば、逐一ページ数などの記載がなくても、全体が先行研究に依拠した要約になっていることを読み取るのは容易であり、剽窃の疑いをかけられるなどということはまず起こりようがなかろう。
それにもかかわらず地裁判決では、全ての箇所での出典表示の有無だけを機械的にチェックするようなやり方で剽窃が認定された。
vol.101
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