アステイオン

コロナ禍

私たちは専門家の声をどう聞けばいいのか?...「忘却の中のコロナ禍」から考える、専門知と社会の在り方

2025年01月22日(水)11時00分
植田 滋(読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員)

感染症専門家が「行動制限を徹底し、感染者数を最小化して『命』を守るべきだ」と言えば、その通りだと思う。一方で経済学者が「行動制限を強め過ぎて生活困窮者を自殺に追い込むべきではない」と言えば、それもそうだと思う。異なる専門家の異なる主張の間で、一般人は戸惑うことになる。

こうした戸惑いを覚える時、優れた専門的知識だけでなく、異なる価値を統合して適切に位置づけるバランス感覚ないし常識感覚といったものの必要を感じる。専門は専門として重視しつつも、それぞれの専門を統合して総合的に判断する知恵が求められるのではないか。そんな思いを抱いたのである。

その点、伊藤由希子氏の「医療における有事対応」は、優れたバランス感覚に支えられて的確な結論を導き出した優れた論考だと感じた。

伊藤氏は、社会が「有事」に対峙するには明確かつ短期の期限が必要であること、人間が危機感や緊張感を共有することは、それが長引けば長引くほど難しいことを指摘し、何をもって「有事」(初動期・対応期)とし、どのような基準で「平時」(準備期)に戻すのか、判断根拠をはっきりさせるべきことを説き、その上でコロナ禍における医療対応がどうであったかを具体的に検証している。

そこから、医療機関同士の情報共有とそのための情報収集機能の集約化・一元化の必要性を訴えている。「専門」を持たずとも、ストンと腑に落ちる内容であった。

総じていえば、先の山本七平もそうだが、専門を専門として生かす上でも、「常識に還れ」と訴えた福田恆存(1912~94年)や、コロナ禍の渦中に亡くなった山崎正和氏(1934~2020年)のような総合的言論人とでも呼ぶべき人が、言論界にはやはり必要なのではないか。そんな思いがわき上がったのだった。


植田 滋(Shigeru Ueda) 
読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員。1965年、東京生まれ。90年、読売新聞東京本社入社。99年から20年余り文化部に在籍し、論壇・宗教、書評欄などを担当。2008年から8年間、読売新聞文化面の論壇時評「思潮」を執筆した。論説委員(文化・皇室担当)や文化部長を歴任した後、2024年1月から現職。


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