アステイオン

コロナ禍

私たちは専門家の声をどう聞けばいいのか?...「忘却の中のコロナ禍」から考える、専門知と社会の在り方

2025年01月22日(水)11時00分
植田 滋(読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員)

新型コロナ対策を進めるなかで、感染症専門家が感染者数の最小化を目標としたのに対し、経済学者は感染以外にも、経済的損失、自殺や結婚・出生に与える影響、子どもの学力維持、生活困窮者の支援といった複数の価値も重視すべきだと考えたという。

そして、こうした複数の価値をいかに達成していくかについて、経済学者は学問の新規性、厳密性、正確性を幾らか犠牲にしてでも、迅速に対処したと指摘している。

専門家がその専門領域に閉じこもらず、社会的危機に正面から向き合い、役割を果たそうとして行動していたというのは、感慨深い。有事における専門家の存在意義というものに改めて気づかされる指摘である。

ここで思い出されたのが、話は飛ぶが、評論家の山本七平(1921~91年)の代表作の一つ『私の中の日本軍』(1975年)である。この戦後を代表する評論家が自らの戦争体験を問い直したこの著作に「扇動記事と専門家の義務」という章がある。軍事知識とメディアの有りようを論じた章だが、山本はこう記している。


〈戦後は軍事知識の一知半解人はいなくなったが、新聞、ラジオ、テレビは、別の面での恐るべき多量の一知半解人を生み出しているように思う。一体これがどうなって行くのであろう。知らないことは知らないでよいではないか。知らないことには判断を差し控えて少しもかまわないではないか。/同時に、専門家ははっきりと専門家としての判断を公表する義務があると私は思う。と同時に専門家でない者は、専門家の意見を冷静に聞くべき義務があると思う。だが一知半解人は、常にそれができないのである。......専門家は、たとえいかなる罵詈雑言がとんで来ようと、たとえ、いわゆる「世論」なるものに、袋叩きにあおうと、殺されようと、専門家には専門家としての意見を言う義務があり、それをはっきり口にする人が、専門家と呼ばれるべきであろう。〉


この度のコロナ禍でも、山本が活躍した1970、80年代と同様、メディアには「一知半解人」であふれていたように思う。だとすれば、専門家が専門家としての「義務」として発言していくというのは、やはり重要なことだと思う。

再び『アステイオン』 の特集に戻ると、大竹氏の論考は、別の感慨を抱かせもした。分野の異なる「専門家」同士が異なる主張を展開した時、どの専門でもない一般人はどう応答すればいいのか、という問題である。

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