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仏教

現代人は輪廻から逃れたい「釈迦」に似ている?...2500年前の仏教に「いま」可能性を感じる理由

2024年12月04日(水)11時02分
ホンダ・アキノ(編集者)

80歳まで生きたブッダという人間の魅力もさることながら、たとえば念仏を唱えれば万人が救われて死ぬときは阿弥陀さまのお迎えで浄土に連れていってもらえる――という話を信じられればよいのだが、それ以上に、ものごとを因果関係でとらえ、精神を集中して自らを観察し、心のありようや持ち方を変えていく訓練によって苦から脱して穏やかな境地に向かうという、ある意味で合理的なブッダの教えがより胸にストンときたからでもある。

原始仏教といえば中村元氏(1912-99)を外すことはできない。インド哲学や東洋思想の大家で、初期仏典をパーリ語など原典から初めて現代語訳したほか、膨大な著作をのこした。

その中に『学問の開拓』という一冊がある。仏教書というより、生い立ちから学問にめざめ、一心に研究に打ち込んでいく過程が綴られた自伝に近い。

「人間は、思想なしには、生きていくことはできない」という氏は、心の不安や煩悶を抱えていたときに、奥深さとともに温かさを感じさせるインドから仏教の哲学思想に魅きつけられたという。

そして最初期の仏教には「人として歩むべき道が釈尊によって単純に、素朴な形で説かれている」と語る。

そのうえで、人間は行為に関しては選択、決定をなす能力があるという視点から未来の問題を考えることが肝要だとし、そこで原則とすべきは「他の人を傷つけない」こと、すなわち「他人の身になって考えることであり、同情であり、共感的であり、愛情であるといえる。仏教ではこれを『慈悲』と呼んでいる」と述べる。

あたかも修行のごとき学問研究の果てに中村氏が辿りついた結論は、立場や考えが異なる人たちへの寛容の精神と慈悲の心であった。

40年近く前に書かれたものだが、2500年の歴史に耐えてきた釈迦の教えを底辺におき、現代の人間や社会のあるべき姿に厳しくも温かいまなざしをそそいだ本書は、これ自体が人生の指針となる経典のようでさえある。

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