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映画・ドラマ

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』と『ウォッチメン』が似過ぎていて怖い話

2024年11月06日(水)11時00分
小森真樹(武蔵大学人文学部准教授)

『ウォッチメン』と『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の共通点

タルサとオセージ、二つの事件は似すぎている。そしてまた、その歴史が開かれるプロセスもよく似ている。

"裕福になるはずでない"タルサの黒人とオセージの先住民。彼らはともに油田によってバブル化して富裕層になった。経済階層において「白人」が下層に位置づけられた。

事件の場所はあまりに近く、タルサはなんとオセージ居留区からわずか50マイルほどに位置している。"宝石"たる油田が富をもたらし、そして人々の欲望が悲劇を生むところまで、極めて合衆国的である。

「富裕になるはずではない」とは、いうまでもなく事件の加害者白人にとっての「はずでない」という意識である。この意識は歴史的につくられたものである。なぜ彼らはそこにいるのか。歴史をひもとくとここにも加害の非対称性があり、必然性がある。

それは、アフリカ系の人々が、奴隷貿易によって所有物として略奪され、国が二分された内戦南北戦争の結果生まれの地を去らざるを得なかったからであり、先住民族が、信教や建国の"正義"を建前に植民されたのちに痩せこけて汚染されたゆかりもない辺境の「先住民居留区(リザベーション)」へ強制移住させられたからである。

両作品は、ともにこうした非対称な歴史の上で起こった悲劇を描いた作品だ。そして大衆文化として隠された歴史が開かれていくプロセスも似ている。ジャーナリズムや政治や教育などが少しずつ動き歴史認識の非対称性の問題が知られるようになるとともに、創作物がそれを世に広めていく。

これを支えているのが、映画やドラマやコマーシャルなど各種の領域において、現代の倫理規範に照らして望ましい描写を模索する「ポリティカル・コレクトネス」の広まりである。

自主的な意識の改善でなく、それは制度として計画されることもある。

例えば米アカデミー賞主催団体では、プロットや登場人物、制作チームにおけるマイノリティ属性の割合を受賞候補作の条件に規定することで、受賞を通して社会に影響力を持つ作品をコントロールする方法をとっている。その結果、世に知られる描写や認知が変わっていくことになる。

人種、国籍、ジェンダー、クイア、心身の条件(障害の有無)、年齢、経済階層など多様性の観点から近年の受賞作――『ノマドランド』『ミナリ』『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』『プロミシング・ヤング・ウーマン』『トイストーリー4』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『コーダ あいのうた』――を振り返れば、思いあたるところがないだろうか。

人々の意識だけでなく社会で制度化されることで、それらは実行力をもつ。歴史の認知はこうして立体的になって徐々に修正されていき、歴史は社会のなかで公的に描かれていくのである。

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』はその物語だけでなく、助演のグラッドストーンは先住民のシクシカイシタピとニミプーの血を引いており、音楽を担当した元ザ・バンドのメンバーロビー・ロバートソンはモホークの系統である。本作が近未来のオセージの生活をどのように変えていくか、そのゆくえに注目している。

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