アステイオン

座談会

「日本人は100年後まで通用するものを作ってきた」...「失われた何十年」言説の不安がもたらした文化への影響とは?

2024年10月09日(水)10時45分
片山杜秀 + 三浦雅士 + 田所昌幸(構成:置塩 文)

サントリーホール 大ホール

1986年に開館したサントリーホールは「世界一美しい響き」を基本コンセプトに設計された。大ホールは客席がステージを囲むヴィンヤード(ぶどう畑)形式を日本で初めて採用。撮影:池上直哉 協力:サントリーホール

片山 とはいえ、残念ながら、「クラシック音楽のタレントが出てきたからどんどん応援してみんなで聴きに行こう」とはなっていません。「年を取って少しお金を持ったら教養としてクラシック音楽を聴かなくちゃ」というのもなくなった。

好きな人は演奏会に行くけれども、社会全体で「このピアニストすごい」「このヴァイオリニストすごい」「この指揮者すごい」とはどうしてもならない。

今でも反田恭平さんブームみたいなものは起きますが、例えば歌番組、芸能番組にクラシック音楽の人も出るとかいうことにはなかなかならない。

昔は友竹正則や立川清登のようなミュージカルとオペラの両刀遣いの人も居たわけですが。芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎、武満徹みたいな人が発言すると、「あの人がこう言っているから」と、音楽の世界を超えてアピールするという、かつてのようなことはないですよね。

中村紘子がコマーシャルに出て、小澤征爾を財界こぞって応援するなどの事態は遠い日の夢物語になった。音楽のパフォーマンスの中身はすばらしいけれども、そういう社会的な共鳴層が減って裾野がやせて、アンバランスになっている感じはします。

メディアの変化と文化への影響

田所 クラシック音楽の演奏家は、子どものときから尋常でないトレーニングをします。そして、そのうちのごく優れた人、かつ運も良かった少数の人がようやくそれで食べていける世界です。

また、クラシック音楽全体をグローバルに見ても、好きな人が高齢化していてファンの再生産が難しくなっている。今、才能とやる気のある若い人たちが別の生き方を模索しているように思います。

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片山 クラシック音楽の作曲家になって、「現代音楽で芥川也寸志サントリー作曲賞を取ろう」みたいな人は今でもいます。

しかし、昔の対位法や和声法のような音楽学校的なややこしい教育をすっ飛ばしても、テクノロジーの力で作りたいものを作れるようになっていますからね。実際、ゲーム音楽はクラシック音楽よりもお金になりますし。

昔ならシナリオライターや劇作家を目指したような人が、今はゲームの台本を書く方向に移ってしまっている気がします。才能のある人たちが文芸の領域に行かない。

以前なら映画やテレビドラマの脚本執筆、作曲、美術を目指したような人も、ゲーム産業などお金のあるほうにシフトしていると思うんです。昔はあれほどみんなが小説を書いていたのに、最近の芥川賞などを見ると、文芸作品を書く人たちはどこに行ったのかという感じです。

田所 多分ラノベを書いたり、漫画を描いたりしているのだろうと思いますね。

片山 そうでしょうね。戦後は日本の現代文学といったら綺羅星のごとく作家が並んでいました。文学にのめり込み、人間や社会を突き詰めて考えるようなモチベーションが下がっている時代ということかもしれません。それでもタレントはいつの時代も必ずいるので、別のところにシフトしているのでしょう。

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