サントリーホール 大ホールのシャンデリアはシャンパンの泡が立ち上っていくイメージでデザインされた。泡を模した1つひとつのガラスはよく見るとブドウの葉っぱのモチーフになっている。 撮影:池上直哉 協力:サントリーホール
前編:「21世紀の首都圏はがらんどう」...サントリーホールが生まれた1980年代を振り返る から続く
『アステイオン』創刊と同じ年に誕生したサントリーホール。1986年とはどのような時代背景だったのか。音楽評論家の片山杜秀・慶應義塾大学教授と舞踊研究者で文芸評論家の三浦雅士氏にアステイオン編集委員長の田所昌幸・国際大学特任教授が聞く。『アステイオン』100号より「1986年から振り返る──サントリーホールと『アステイオン』の時代」を転載。
田所 ところで、大阪中之島にある大阪市中央公会堂は、大正7年竣工のまさに大正バブルの産物です。ひとりの大阪市民、岩本栄之助の寄附によって建てられますが、竣工時には彼は既にこの世にいなかった。
株式仲買人だった彼は相場で失敗して、39歳で短銃自殺したんです。それでも公会堂は残った。バブルの崩壊以降、いろんなものがじり貧状態になったけれど、造ったら残るものってやっぱりあるわけですよね。
そして、私が専門で見ている政治・経済などに比べると、日本の芸術は圧倒的に元気に見えます。ヨーロッパの名だたるところに日本のプリマがいてももはや驚かないし話題にもならないくらい、ごく当たり前に国際進出しています。日本のダンサーの水準は非常に上がったと思いますが、どうですか。
三浦 水準は上がっています。舞踊に関して言えばコレオグラファーなど作品をつくる人たちの能力も上がっているし、エネルギーも非常に高まっている。
日本人は、何かをつくる場合、後世のことまで考えています。せっかく井戸を掘るなら100年後にも通用するようなものにしなければ、と考える。それだけ心を込めてつくるのだからみんなに利用してもらいたいということで、基本的に手抜きはしません。
古くからある東京バレエ団にしても、1990年代から始まった熊川哲也のKバレエカンパニーにしても、また新国立劇場バレエ団にしても世界的に通用します。
片山 クラシック音楽の技量も、舞踊と同じです。オーケストラの腕前もソリストも水準が上がっている。何よりも価値観が豊かになっています。
以前は、誰々先生の弟子で、東京藝術大学の何とかでと、家元制度的で、この先生に師事していれば審査員は皆同系列だから音楽コンクールで1位になれる、みたいな世界でした。それが、グローバル化によって若いうちから海外で勉強する人が増えた。特定の先生につくのではなく、いろいろなところで多様なスタイルに学ぶ人も少なくない。
また、ネットで手に入る楽譜や演奏の音声や映像からどんどん消化して、家元的な教育とは全く違う学び方をした演奏家や作曲家が出てきている。
その結果、悪く言えば技術は高くても無個性化することもあるけれど、良く言うと、世界のさまざまなものに触れても器用貧乏にならずにスケールがどんどん大きくなる。そういう演奏家が、ヴァイオリンでもチェロでもピアノでもいるわけですね。
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