アステイオン

アステイオン

「都会らしさ」の来歴と今後──『アステイオン』の38年

2024年10月02日(水)10時40分
苅部 直(東京大学法学部教授)

また、初期の号をいま見直すと印象が深いのは、当時の流行思潮だったポストモダン思想の影がほとんど見られないことである。むしろ、著書『資本主義の文化的矛盾』(1976年)でいち早くポストモダン批判を展開していたダニエル・ベルを編集委員に迎え、創刊号にはベルと山崎の対談を載せている。時の流行からは足を一歩引いて、それを相対化する広い視野をもちながら雑誌の構成を考える。そうした意識が本誌の編集を支えてきたことが、よくわかる。

さらに、現在は消えているが、『アステイオン』は創刊時から長い間、鋭く感じ、柔らかく考える「国際総合誌」という文句を表紙に印刷していた。この「国際」も、創刊のときから現在まで続いている特色である。創刊号の粕谷一希による「編集後記」の末尾にはこう書かれている。

「日本人が自らの国際的役割を自覚し、独自のメッセージを発信することこそ今日の急務でしょう。そのためには海外のジャーナリズムと具体的に提携し対話を開始することでしょう。本誌が洗練された感性と知性によって、今日のジャーナリズムに、ささやかでも新しい気運を醸成できれば、と思います」。

「でしょう」で終わる文が続く、不自然な文章になっているが、新しい雑誌を世に送り出そうとする昂揚感が伝わってくる。「国際」の方針に合わせるように、最初期の『アステイオン』は「海外通信」として、国外に在住して活躍しているか、あるいは短期滞在中の日本の知識人による寄稿を載せていた(第8号まで)。

asteion_20240911072351.jpg

『アステイオン』51号に掲載の「Correspondence」(左)と国際知的交流委員会(CIC)のニューズレター「Correspondence」ISSUE No.1(右)

また、「海外ブックレビュー」として、『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』『タイムズ・リテラリー・サプルメント』に載った書評を訳載している。この方針は書評の選定と掲載許可の手続が煩雑になるせいか、第4号までで終わっているが、海外の最新の重要文献に関する書評を載せる形に代わって、現在も『アステイオン』の特色になっている。

創刊の直前、1986年の5月に、東京開催として二度目のサミット(第12回先進国首脳会議)が開かれていることを考えれば、グローバル化の時代の始まりとともに、本誌も登場したと呼べるかもしれない。「国際」路線はやがて、日本・米国・ドイツの知識人によって構成された国際知的交流委員会(CIC)が編者となって、アメリカ・ヨーロッパの論者による論考を多く載せていた時期(第51号~第60号。1999年~2004年)に、より強調されることになる。そのころは、同じCICによる国際的ニューズレター『Correspondence』の発行と連動して編集が進められていたのであった。

だが、雑誌の編集作業の国際化とも言える、この斬新な試みは、インターネット上での情報発信手段の急速な発達によって、まもなく先を越されてしまう。第61号(2004年11月)で再び日本のみの編集委員会(山崎正和・田所昌幸)による編集体制に戻ってからは、日本の知識人が書いた論考を中心にして、海外の筆者の文章もとりまぜるという方針に変わり、現在にまで至っている。

PAGE TOP