アステイオン

アステイオン・トーク

一般人から見れば「どちらも敵、貴族と僧侶の戦い」にしか見えない、アカデミズムとジャーナリズムの対立

2024年08月28日(水)11時00分
小川さやか+トイアンナ+鷲田清一+田所昌幸(構成:伊藤頌文)

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トイアンナ 普通の会社員から物書きになったライターの立場から言うと、一般人にとってはアカデミズムもジャーナリズムも同類で、どちらも「敵扱い」です。たとえるなら、それは僧侶と貴族の対立を見ていた、中世ヨーロッパ時代における農民と同じです。

現在では修士号を持つジャーナリストも増えているので、ジャーナリストとアカデミアは非常に近い存在に見えます。ですから、アカデミズムとジャーナリズムの対立軸を前提とする『アステイオン』の立ち位置には、逆に驚かされました。

田所 なるほど、さながら僧侶と貴族の対立を見る農民といったところでしょうかね(笑)。それはアカデミアとジャーナリズム側では見落とされがちな視点ですね。では、トイアンナさんの読者が多くいるSNSの世界はいかがでしょうか?

トイアンナ 現在、第3の軸としてnoteのような有料・クローズドなブログサービスの影響力が増しています。殺伐としていると言われるSNSですが、実は有料会員はとてもマナーがよく、そこでは生産的な議論が行われています。

田所 そうなると『アステイオン』のような紙の論壇誌の意義について、どう思われますか?

トイアンナ 僧侶と貴族の対立を見ている一般人からすれば、論壇誌の執筆陣は「石を投げたくなる相手」かもしれません。しかし、オープンな議論の場として生き残ってきた『アステイオン』の存在意義は今でも大きいと思っています。

田所 専門家ではないけれど「専門知」に触れたい、知的関心を持つ中間層は必ずいます。そういった読者層を意識して私たちは『アステイオン』を作ってきました。マスマーケットを最初から意識していないという側面ですね。いずれにせよ、論壇誌をめぐる状況は厳しさを増しているのは事実です。

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『アステイオン』が歩んできた38年

田所 1986年に『アステイオン』が創刊されて38年経ちました。38年とは、明治維新(1868年)から日露戦争(1904年)まで、日露戦争から太平洋戦争(1941年)まで、あるいは戦後の高度経済成長(1950年代後半)から冷戦の時代(~1989年)とほぼ同じ期間です。『アステイオン』は、その次の「ポスト冷戦時代」の38年という区切り方もできると思います。

これは世代によって見方も異なり、いろいろな切り口もあると思いますが、鷲田さんはこの38年間をどのように、とらえていらっしゃいますか?

鷲田 日本の言論界はその論点の設定において、しばしば欧米発の論考をフォローしてきましたが、今やそうした視線・視座そのものが疑われるようになりました。したがって「世界がどのような状況にあるか」という論点そのものが成立しづらくなっています。

そして『アステイオン』創刊時、日本は高度消費社会のただ中にあったため、21世紀に貧困が思想の問題になるとは、当時の私には思いもよらないことでした。

1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、これからはイデオロギーで何かを語る時代ではなくなると予想していました。しかし現在、イデオロギーですらない、むき出しの陰謀論が跋扈する世界になってしまいました。

インターネットのようなきわめて水平(フラット)な言論空間だけになると、その上には思想を監視する単一の機関があるだけで、それでは一種の独裁になってしまいます。複数の目利き、あるいは批評するメディア空間が必要で、垂直的な意味でも「中間」の存在が重要になってくるのではないでしょうか。

田所 時代を特徴づけるアプローチ自体が難しくなっているということですね。すべてがフラットになって、個人生活の隅々まで匿名の権力が支配する社会は、政治学では「大衆社会論」の文脈で議論されてきました。

アレクシ・ド・トクヴィルらが予見していた、顔のない多数派によって自由が脅かされる危険が、今現実のものとなっているのかもしれません。

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