自由貿易体制に対し、大国アメリカがいかに被害者意識を抱えているかを理解する必要は今日、再び高まっている。
2017年の大統領就任演説で「長らくアメリカは世界に搾取されてきた」とうたいあげ、在任中、日本に対しても貿易赤字の削減を強硬に求めたドナルド・トランプが、共和党の予備選で強さを見せつけ、2024年大統領選の最有力候補の一人となっているのだ。
「世界に搾取されてきたアメリカ」は決してトランプの孤高の叫びではない。昨今のアメリカでは、共和党支持者を中心に「自由貿易はアメリカ経済にとって脅威となる」と回答する人は増え続けている。マグマのような被害者意識を抱えた大国アメリカとどう向き合い、どのような関係を構築するか。五百旗頭の問いはまったく古びていない。
先に紹介した高坂の論考「粗野な正義観と力の時代」は、様々な意味で予言的な論稿だが、極め付けは、「四十年という年の経過はひとつの秩序にほころびを生ぜしめるのに十分の長さ」であるという洞察だ。
あたかも、ロシアがウクライナに軍事侵攻し、中東のガザでイスラム組織ハマスとイスラエルとの間に大規模な戦闘が起きている今の世界を予見していたかのようだ。
しかも高坂は、第二次世界大戦後に打ち立てられた国際秩序への最大の挑戦は、「ユダヤ人問題というヨーロッパが生み出した問題のツケとして、不法にもアラブ世界の中にイスラエルが作られた」と考えるアラブ諸国からやってくるとも述べているのだ。
高坂が、第二次世界大戦後の国際秩序への最大の挑戦が、中国やロシアでもなく、中東において生じうると考えていたことは興味深い。国際秩序を、単なる力の体系ではなく、価値の体系とみなしていた高坂の国際政治観をよく表している。そしてこの国際政治観は、今日の世界を洞察し、その行方を見極める上でますます重要になっている。
「欧米諸国の偽善はガザで完全に葬り去られた」。ガザ危機の中で、そうした怒りの声が非西洋世界で力を得ている。
イスラエルは、パレスチナ人の命と人権を踏みにじって建国され、今日でも国際法に違反した入植政策や占領を続けているが、欧米諸国はその暴力的な事実から目を背けてきた。今回の戦争についても、戦闘開始から100日間でパレスチナ市民の犠牲は2万を優に超えたが、イスラエルの軍事行使を支持する姿勢を崩していない。
昨年末には南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、イスラエルによる「ジェノサイド」を問う裁判も始まった。1月26日、ICJはイスラエルに対して暫定措置として、ジェノサイド行為を防ぐために「あらゆる手段」を講ずること、ガザ市民への人道支援を供給するために、有効な方策を「即時実施」することなどを命じたが、欧米はこの裁判そのものを批判する姿勢をとっている。
グローバルサウスには、「これまで欧米諸国が語ってきた正義や法の支配、人権とは何だったのか」という懐疑と批判の声が広がっている。南アフリカはかつて、欧米諸国が支えた白人政権によるアパルトヘイト(人種隔離)に苦しんだ経験を持つ。そうした歴史を持つ国によるイスラエル提訴は、国際秩序の道義的な意味での大きな転機になるかもしれない。
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