『アステイオン』ではアメリカとの対立が深まるなか、戦後日本の自己認識の輪郭が崩れつつあることが、ギャップの意識の源泉となった。
よく知っていたはずの《日本》のイメージが経済的繁栄と対外的危機のなかで、徐々に解体されてゆく──このアイデンティティの揺らぎや混乱をいわば逆用するようにして、特に山崎正和は、日本が多元的な市民社会に生まれ変わることを望んだ。
つまり、《日本》からその自明性が失われつつあったからこそ、むしろそこに豊かな多事争論の場を創造する、それが山崎流の「柔らかい個人主義」の実践であったと言えるだろう。
もとより、そのような多事争論の場が、お作法の固まった「論壇」の言説に舞い戻ってしまう危険性は常にある。とはいえ、雑誌の出発点に、日本の現実が旧来の言葉とずれつつあるというギャップがあったことは確かである。
山崎正和という批評家が雑誌の中心にいなければ、そのギャップが際立つことはなかっただろうし、冷戦と昭和の末期に生まれた『アステイオン』が令和まで続くこともなかっただろう。
私から見ると、80年代は雑誌の時代であり、特に季刊の批評誌で面白いものが目立った時代である。
『アステイオン』、『へるめす』、『リュミエール』、『GS』。そのいずれもが季刊なのは偶然ではないだろう(ちなみに、出版史の素人としていいかげんなことを言えば、その前駆的形態は江藤淳・高階秀爾・遠山一行・古山高麗雄が編集メンバーの1960~70年代の『季刊藝術』にあったと思う)。
週刊誌が動きのすばやい動物のようなものだとしたら、季刊誌はいわば大地に根を張った《庭》のようなものである。そこには巨木のような言説もあれば、まだ生長途上の若々しい言説もあり、ジャーナリスティックな分析もあれば理論的な考察もある。
そして、ときにそれらがお互い交雑し、ときに外界からの強い風雨に翻弄される──しかも、このようなアクシデントがかえって雑誌=庭の植物たちを活気づけることも多いのだ。
さらに、《庭》の内部は一様ではなく、それぞれの言説のあいだに時差というギャップがある。すぐに手折られてしまいそうな若くて弱い植物でも、社会から隔離された庭のなかでは、その成長の時間が保証されるだろう。
ちょうど漫画『ピーナッツ』に出てくるライナスのセキュリティ・ブランケット(安心毛布)のように、雑誌=庭には言説の保護機能があるのだ。
vol.101
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