アステイオン

ジャーナリズム

文章は映像よりも「上から目線(エラそう)」?...贅沢品になった「使えない知」延命のヒントとは

2024年07月17日(水)11時09分
大尾侑子(東京経済大学准教授)

世界の思想や経済の地図のなかに「日本」を、そして「われわれ」を位置付けるような態度が許容される各論考の空気は、呑気にも思えるが、うらやましくもある。

くわえて誌面を彩るのは、つぎのような商品広告である。SHISEIDOパラディムオーデコロン(キャッチコピーは "資生堂から、男の日々へ親展")、小学館「日本大百科全書」25巻セット(「専用書架贈呈」!)、電建ホーム( "あきらめないでよかったね")、富士通ワープロ、海外旅行情報誌『ab-road』、YAMAHAやYONEXのゴルフクラブ、日清マヨドレ( "責任が増えてきたら、知らないうちにコレステロールも増えていませんか")、青春出版社『PLAYBOOKS』( "新時代を考えるビジネスマン必読書")、第一製薬の発毛促進剤「カロヤンS」、DAIHATSU第3シャレード( "素敵な人と、「さ、ツーサム」")......。

これらから浮かび上がるのは、次のような読者像だろう。すなわち、知的向上心を持ち、企業では部下に対して教育的立場にあって、都会的かつ洗練された「豊か」なライフスタイルを志向するサラリーマン。

経済やビジネス、文化をめぐる体系的な知識の獲得に励み、それらを自己完結的に吸収するだけでなく、他者に示すための消費にも余念がない。

もちろん、オトコ磨きだって忘れない(映画『私をスキーに連れてって』の公開は、翌1986年だ)。彼らにとって、『アステイオン』もまた、憧れのライフスタイルを彩るアイテムだったのだろうか?

いずれにせよ、このような雑誌の存在を支えているのは、「知的なものには(他者との差異を演出する)弁別的価値がある」という共通前提、社会の空気である。

こうしたムードこそが戦前からある時期まで続いた教養主義(その終末が、本誌創刊の時分だろう)を下支えしていたのであり、堤清二が主導したセゾン文化と相互浸透的に広まった、1980年代のニューアカブームの存立条件でもあった。

当時、26歳、京都大学助手であった浅田彰の『構造と力』(勁草書房)が刊行されたのは、1983年のこと。

そこから、40年後の2023年に、かつて浅田とともにニューアカの旗手とされた中沢新一は、難解な本が若者に支持された理由を「『おしゃれなんです』(中略)女子学生が『格好いい』と小脇に抱えてくれればいいと思った」と振り返った(『読売新聞』2023年4月30日付)。

一方の浅田彰は「僕の本を抱えて歩くのが格好いいというのはどうかと思いましたけど、背伸びをする、いい意味でのスノビズムがなくなったのは問題だ」(同前)、という。

なるほど、コスパ、タイパ、ネタバレ消費、インプレッション......なんでも良いが即時的なパフォーマンスの高さが求められる現代では、コスト意識のもとに有用性がないと判断されたものは切り捨てられてしまう。

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