張 今回の特集で、境界あるいは越境の多様性に関して印象に残った論考はありましたか。
エリス 岡野道子先生の「ブラジル日系芸術家の肖像」では、ブラジルの日系画家たちの境界の越え方や境界に対する意識の仕方が、世代によって全く異なるということが具体的に紹介されていて、興味深く拝読しました。
根川幸男先生の「トランスボーダー化するマツリ」では、ブラジルの地でマツリが新しい文化遺産になり得ることが示されていました。
これは、文化の越境をめぐってしばしば問題化されるオーセンティシティが問題ではなくなる、というのか、ドラスチックなオリジナリティゆえに、もはや問題でさえなくなって、クリエイティビティの領域に突き抜けていくといった例ですよね。
オーセンティックではない日本の文化がその土地のマジョリティの文化と出会ったときに新しい力となって、非日系の人をも巻き込んでいく。ハイブリッドな力のポテンシャルを示す現象だと思いました。
張 移民先あるいは自分が生まれ育った場所の共同体とのつながりと、それから出自に関連するアイデンティティーの意識が複雑に絡んでいるだけに、移民による芸術活動というのは、意識するにせよ、しないにせよ、どうしても自分とは何者か、といった問題意識を常に伴っているような気がします。
特に、根川幸男先生の「トランスボーダー化するマツリ」を拝読して、ブラジルでの日本の祭りの受容を知って、大変驚きました。
ご本人からお聞きした話では、ブラジルだけではなくて、南米のほかの国でも実は日本のお祭りは受け入れられているそうです。移民のみならず、現地人も参加するというのは大変興味深いと思います。
エリス 根川先生の論文を読んで非常に面白かったのは、否応なく集団的なアイデンティティを負わされて、他者から見られるという痛みを常に抱えて生きていかなければならない人たちが、ブラジルの土壌のマジョリティの文化の中に積極的に新しいものを生み出していったということです。
ある意味で傷を負った、負荷を背負わされた人たちが、現地の文化ときり結び、異郷の圧力の中で自分たちのアイデンティティを模索する過程で見出していった独自のマツリ文化というのは、非常に興味深い現象だと思います。
それが自由にかたちを変えながらその土地の文化現象として浸透していったことは、マジョリティとマイノリティというそれまでの二極的なアイデンティティのあり方を突き崩す動きにもつながり、ダイナミックな力を感じさせますよね。
※【後編】日本発祥の年末恒例「第九コンサート」はウィーンでも行なわれるようになった...芸術の活力は「境界」から生まれる に続く。
エリス俊子(Toshiko Ellis)
名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授。1956年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程満期退学。Ph.D. (オーストラリア、モナシュ大学)。東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て、現職。専門は比較文学、日本近代文学。著書に『萩原朔太郎』(沖積舎)、『越境する想像力』(共著、人文書院)、Pacific Insularity(共著、立教大学出版会)など。
長木誠司(Seiji Choki)
東京大学名誉教授、音楽評論家。1958年生まれ。東京大学文学部卒業後、東京藝術大学大学院博士課程修了。博士(音楽学)。東邦音楽大学・同短期大学助教授、東京大学大学院総合文化研究科教授等を歴任。オペラおよび近現代の音楽を多方面より研究。著書に『前衛音楽の漂流者たち』(筑摩書房)、『フェッルッチョ・ブゾーニ』(みすず書房、吉田秀和賞)、『オペラの20世紀』(平凡社、芸術選奨評論等部門受賞)など。
三浦 篤(Atsushi Miura)
大原美術館館長、東京大学名誉教授。1957年生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業。同大学大学院美術史学博士課程中退。パリ第4大学美術考古学研究所で学び、博士号取得。東京大学教養学部助教授、同総合文化研究科教授を経て、現職。専門は西洋近代美術史、日仏美術交流史。著書に『近代芸術家の表象』(東京大学出版会、サントリー学芸賞)、『移り棲む美術』(名古屋大学出版会、芸術選奨評論等部門文部科学大臣賞)など。
張 競(Kyo Cho)
アステイオン編集委員・明治大学教授。1953年上海生まれ。華東師範大学卒業、同大学助手を経て1985年に来日。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。著書に『海を越える日本文学』(筑摩書房)、『異文化理解の落とし穴』(岩波書店)、『詩文往還』(日本経済新聞出版)など。
『アステイオン』99号
特集:境界を往還する芸術家たち
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
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