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論壇誌『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」は、国内外で活動する日本人や日系人の文学や芸術活動に焦点を当てた論考を集めた。
同特集をテーマに、1月に行われたエリス俊子氏(名古屋外国語大学教授)、長木誠司氏(東京大学名誉教授、音楽評論家)、三浦篤氏(大原美術館館長、東京大学名誉教授)とアステイオン編集委員の張競氏(明治大学教授)による座談会より。本編は前編。
張 『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」の責任編集として、音楽、美術、文学、映像創作、そして、マツリに至る幅広いジャンルと、ヨーロッパ、アメリカだけではなくて、南米、東南アジアなど世界の広い地域を対象にすることを留意しました。
それぞれの論考に共通するのは、日本を視座の中心に置いて、海外で活躍する日本人や、日系人の芸術家たちの活躍をそれぞれの視点から捉えるという点です。
長木先生には、「ヨーロッパで活動する日本人音楽家」という論考をご寄稿頂きましたが、本特集についてのご感想をお話しいただけますでしょうか。
長木 特に興味深かったのは三浦(篤)さんの論考です。美術においては、日本と特にヨーロッパの間に還流があったということでしたが、音楽の場合、還流はあまり見られないと思います。
張 日本の音楽はどのように越境していったのでしょうか。
長木 日本の能楽師が能楽をヨーロッパに紹介したのも1950年代の中頃、歌舞伎も1960年代にならないとヨーロッパには紹介されていないので、日本の音楽というのは、まずヨーロッパにそんなに入っていなかったと考えられます。
19世紀に、ヨーロッパにおける音楽のジャポニスムがあったのですが、具体的な音楽は知られていません。やはり日本の音楽が、レコードがなかった19世紀になかなか伝わっていかなかったのでしょう。
それから、音楽家がヨーロッパに留学に行って、向こうで日本のものが受け入れられているのを見て、日本に持って帰るという動きもありません。
張 さきほど、長木先生からは、音楽には、美術のようなジャポニスムの還流はなかったという指摘がありましたが、三浦先生には今回の論考を踏まえて、美術における還流について伺いたいと思います。
三浦 私は今回、「ジャポニスムの還流――フランスの日本人画家にみる異種混交性(ハイブリディティ)」と題して、明治から現在に至るまで、日本の芸術家がいかに留学し、そして、フランスから何を持ち帰ったのかということをたどりました。
美術の場合は浮世絵版画と工芸品で圧倒的なジャポニスムの流行があって、日本からフランスに留学した例えば洋画家たちも、日本の文化の受容のされ方を目の当たりにし、何らかの形で影響を受けて帰らざるを得ない状況がありました。
張 その結果として、日本国内では日本画と洋画が共存している状況がありますが、海外において日本の絵画はどのように受け止められたのでしょうか。
三浦 伝統的な日本画は、海外でも高くは評価してもらえないのではないかと思います。洋画も評価してもらえない。なぜかというと、西洋絵画の模倣と見られるからです。これは、やはり西洋近代芸術の価値観がいかに世界を席巻したかという、そのあかしでもあります。
ただし、日本の洋画で、西洋でも評価されるものがあるとしたら明治から昭和の間の洋画です。その場合は、例えば高橋由一や、青木繁、岸田劉生のように越境をしなかったために西洋絵画の洗礼を直接浴びなかった画家の作品のほうが向こうで評価される可能性があるんじゃないかと思います。
張 彼らは、模倣というふうに見られないのですか。
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