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中学生の時に腎臓を患い、入院した。ほぼ絶対安静で、ベッドから離れられない。食事はすべて無塩で味気ない。病状はなかなか好転しなかったが、退院したら実現したい夢がたくさんあり、自暴自棄にはならなかった。
遺跡を発掘する、船乗りになる、といった夢は体力的に叶わなかったけれど、奈良で仏像を見て回る、当時最新鋭のジェット旅客機に乗って飛ぶなどの願いは比較的早く実現した。
しかし、塩分の制限が多少緩和された時に、醤油につけた刺身を口に入れて味わう夢が叶った時ほどの嬉しさは、その後経験していない。
人は皆なにがしかの夢を持って生きている。明治時代、有為の若者は立身出世や海外雄飛の夢を抱いた。文部省唱歌「ふるさと」にも、「志を果たして、いつの日にか帰らん」という一節がある。
日米戦争に敗れて焼け野原になった時も、生き残った人たちは新しい夢を見た。就職したソニーの上司が私に、「世界のソニーと今は言うが、創業時代の井深さんや盛田さんの夢は、エレベーターのある本社ビルを建てることだったんだ」と語った。
アメリカ人も植民地時代以来、夢を追い続けている。人々は新大陸での成功を夢見て海を渡った。
内戦のさなか、リンカーン大統領はゲティスバーグで、建国の父祖が自由と平等という二つの理念に基づいてこの国を建てた、その夢を捨ててはいけないと説いた。その大統領が同じ演説で述べた「残された仕事」を達成しようと、多くの国民は今も努力し続けている。
公民権運動の指導者キング牧師は、「私には夢がある。私の四人の子供たちが肌の色ではなく人としての中身で判断される日が、いつか来る夢を」と1963年の夏にワシントンで演説した。
それから60年。この国の人種関係は著しく改善したが、ここ数年その後退を思わせる事件も多発した。社会の分極化が進み、アメリカン・ドリームの時代は終わったとさえ言われるが、本当にそうだろうか。
カンボジアからアメリカに亡命しボストン市議会の議員に当選した人から、「命からがら逃げてきたこの国で議員に選ばれるなんて、想像もしなかった。アメリカン・ドリームはまだ健在だ」と熱を込めて語るのを、日米関係に関する会議で直接聴いたことがある。
自動車産業が衰退し荒廃したと言われたデトロイトを訪れた時、あちこちで新しい街づくりが進んでいて驚いた。
麻薬が売買されていた暗い横道のビルの壁に、若い芸術家たちが次々に壁画を描く。賃料が暴落して売りに出た古いビルを、地元出身の実業家が買い上げ、改築して自分の会社の本部にした。大通りでは休日に屋台が並び、市民で賑わう。まだ道半ばだが、人々はこの街の再生を夢見て様々な試みに取り組んでいる。
日本はどうだろうか。
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