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キャリア

好きなことは仕事にできない? 夏目漱石も語っていた「現代人と同じ悩み」

2023年05月24日(水)08時09分
岡本佳子(神戸大学大学院国際文化学研究科講師)

彼らは自己本位で仕事をして、その結果たまたま他人のためになっていることでいくらかの賃金を得ることができる。なので、科学者哲学者は政府や個人の援助がなければ「禅僧ぐらいの生活」を送らざるを得ないし、芸術家はたまたま世間から評判を得ることができなければ「餓死するよりほかはない」、とまで漱石は言い切ってしまう。

ただ、漱石が最後に語る科学者、哲学者、芸術家――「道楽的職業」、つまり自己本位で行なっている職業――のイメージは現代ではずいぶんと古臭くなっているのも確かだ。

同時期に書かれた小説『三四郎』(1908年)には野々宮という研究者が出てきて、「穴倉」の中で実験を繰り返し、現実世界と接触することなく人生を送っていると評される。民間での研究や産官学連携が進展している昨今で、研究者のことを野々宮のようなイメージで十把一絡げに考える人はあまりもういないだろう。

同じく芸術家についても職業作家として成り立っている時代の方が長く、「道楽と職業」で例に挙がっているような池大雅やミレーのように、貧困に苦しんでいる偉大な芸術家というステレオタイプで語る人ももうあまりいないのではないか。

作曲家についても同様で、苦悩するベートーヴェンのような傑作を遺した偉大な作曲家というイメージは、19世紀に学問としての音楽史が誕生する中で形成されてきたものである。というよりも100年以上前の『三四郎』においてですら、芸術家である画工の原口はずいぶんと社交的であり、ただ自己本位のみに没頭している芸術家のようには見受けられない。

その一方で、とくに人文科学系の研究者の中には、財産や、政府・個人の援助がなければ「禅僧くらいの生活」にならざるを得ないという指摘がいまだ有効で、根強く残っている部分もまだまだあるだろう。

冒頭の研究者仲間が直面したように、何かを犠牲にしたり、激烈な競争を潜り抜けて苦しまなければ研究を続ける環境にいられないというイメージがまだあり、ある程度その通りになってしまっている現実がある。

なぜこのような現状があるのかを考えると、博士号を取得したら研究者にならなければならない、研究者にしかなれないという、職業に関する思い込みもあるのかもしれない。

話を聞いたことのある就職相談のキャリアカウンセラーによれば、大学院進学後、特に博士課程に進んでからの進路変更や方向転換について、一番ネガティブに気にしているのはおそらく本人であるとのことだった。

仕事やキャリア形成への「こうあるべき」という思い込みや、方向転換への足踏みは、特に科学者に限ったことではない。

目指していたものとは異なる職種を探してみたり、仕事を辞めて大学に入り直したり、留学に行ったり、起業をしたり、旅に出たり、長期の育児休業を取ったり、異なる業種に飛び込んだり...。

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