1991年のソヴィエト連邦の崩壊を機に独立国家として歩みはじめた両国は、まるで双子のようであった。ソ連構成共和国であった歴史、ソ連崩壊後の経済破綻と急進的経済改革、ロシア系住民など多民族からなる社会、非常に類似した政治制度、そして地方に跋扈し中央のリーダーに果敢に対抗する政治経済エリートたち......。
さらに、カザフスタンのナザルバエフ大統領とキルギス共和国のアカエフ大統領は、独立後の数年間、政治の自由化に意欲的に取り組みながら、その後ほぼ同時期に権威主義化へと舵を切り、権力集中を進めようとした点もそっくりであった。
しかし、独立国家として同時にスタートした両国は、2000年代中頃までにその命運を大きく分かつこととなった。時を経るごとに選挙の特徴と体制の安定性に無視できない違いが生まれてきたのである。
カザフスタンでは、体制に有利な選挙操作が少なくなる一方、キルギス共和国では選挙操作が著しいものとなった。さらに、ナザルバエフ大統領は選挙実施のたびに自らの体制を強固なものとしたのに対し、アカエフ大統領は選挙によって求心力を削がれ、やがて2005年議会選挙後の「チューリップ革命」で瓦解するのである。
独裁制の代名詞ともいえる不正と暴力への依存が少なくなっていくカザフスタンで体制が強化され、その逆のキルギス共和国で体制が崩壊したのは、一体なぜなのか。
まるで双子のようだった両国の成り行きを比較するなかで、冷戦後の独裁制のあり方は、実は我々が抱く従来の独裁制のイメージとは大きく異なっているのではないか、と筆者は考えるようになった。
この現代独裁制の大きな謎を解明する糸口はなんだろうか。独裁者はその一存で政治をおこなうのではなく、もっと戦略的に振る舞っているのではないか、と筆者は考えた。つまり、選挙は単なる民主的体裁を繕う「お飾り」ではなく、その重要性に鑑み独裁者は自らの必要性に応じ、合理的に選挙をデザインするのではないか、と。
その頃、欧米の政治学者によって選挙は実は独裁者の統治を効率化するために都合よく利用されているのではないか、という議論が興(おこ)りはじめていた。
たとえば、選挙で圧倒的に勝利すると、独裁者は権力基盤が強固であることを広く世間に知らしめることができ、そうした情報の伝達は反乱の芽を摘むことに寄与する。また選挙結果をつうじ、与野党の地理的な勢力分布を把握できるため、有益な情報のフィードバックとなる。
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