列島が自粛に飽き、SNSの「自粛警察」の影も薄くなりつつあった2021年。大人が居酒屋でわいわいやっている中、学校の子どもだけは長らく「黙食」と行事の縮小・自粛を強いられた。
そんな彼らを甘く見ると、きっと痛い目にあう。将来、「コロナ世代かわいそう、青春が奪われたね」などと安っぽく口にしたら、きっと手を噛まれる。
彼らは大人をこき下ろすけど、頼れる大人に感謝することも忘れない。一筋縄ではない、そんな強さを持っていたりする。絶望一色として過去をとらえようとしない粘り腰だって見せるのだ。
これは、若者たちの単なる「やせ我慢」なのかもしれない。でも、それの何が悪いのだろう。やせ我慢は醜い、格好悪いと即断される社会だとすれば、ニッポンはもう終わりである。とはいえ、ニッポンはまだまだこれからだと、私は確信してもいる。
高校生のリアルな心情が表されたエッセイにふれ、私はどすんと胸を突かれた。大人が想像する以上に多感な若者にも、希望が香る本をつくりたいとの思いを強くした。私は、みずからの文章を、時間をかけてじっくり改めることにした。
コロナ禍を私といっしょにやり過ごしたあの子たちに、うしろ指をさされるだけの大人になりたくない。そんな意地が拙著のスパイスになっているとすれば、コロナ禍の日々も意味があったのかもしれない。
そう思おうとすることも、きっとひとつの「やせ我慢」なのだろう。そのやせ我慢の産物である私の本が、希望を耕す内容となっているかどうかは、読者諸賢の判断にゆだねたいと思う。
『在日韓国人になる 移民国家ニッポン練習記』
林晟一[著]
CCCメディアハウス[刊]
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