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日本社会

「コロナ世代かわいそう」と安っぽく言う大人は、きっと若者に手を嚙まれる──評論家兼高校教師の描く希望

2023年02月08日(水)08時08分
林晟一(評論家、高校教員)

本の中でも詳しくふれるが、たしかに、21世紀に入って「在日特権」や「在日認定」などの差別的な俗語が一般市民にも浸透していった。今日、民族マイノリティの未来は必ずしも明るくない。

けれども、状況が苦しいからこそ「やせ我慢」しながら、明るい未来を創る必要がある。そして、ささやかな希望ある明日は、希望「も」あった歴史や、希望「も」ある現在に裏打ちされている。そんな思いを込めながら、執筆をこつこつ続けた。


私が希望ある未来にこだわるのは、ふだん、中学生や高校生と接する教師として働いているからだろう。

絶望しか目に入らない教師に子どもを預けたいと思う保護者は、まずいない。生徒に「きみの未来は暗い。努力しても無駄だ」と宣告するために教師となる者も、まずいない(いたらまずい!)。やはり、子どもといっしょに明るい未来をたぐり寄せたいと思うのが、人情である。

十代〜二十代のころは「尖(とが)ってナンボ」だ。きっと、この記事を読んでくださっている方々にも、かつてはそんな一面があったのではないだろうか。

「私は賞賛も批判もしません、学校の悪口だってOKです。想定読者は十年後のあなたです――」。
2021年の冬。じきに卒業してゆく高3の選択授業履修者に、コロナ禍と高校生活についてエッセイを綴ってもらった。

ひとりの高3生が、次のように記した。「大人は簡単に同情してくる。学校生活、つまらなくなっちゃったね。かわいそう......」。

そんな風に同情されるのはいやだと、その生徒は続けた。たしかに奪われた経験は多いし、高校生らしい生活もまっとうできなかった。だが、思い出が真っ黒かといえば、それもちがうのだと。

たとえば、ある遊園地は、コロナ禍の夏休み中、5分間の花火を毎日打ち上げてくれた。8月下旬、多摩湖のほとりで、その生徒はひとり無言でそれを眺めた。そして、帰りの電車でフジファブリックの「若者のすべて」を聴きながら、次のように思ったという。

「花火をあげるために頑張ってくれた大人たち、どうもありがとう」

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