軍事的には、OSCEの報告によると2021年3月末頃から停戦違反が急増している。ウクライナ軍の攻勢を受けていたものとみられる。ここからは私の推測になるが、人民共和国の指導者は、悪化する状況に対してモスクワに保護を求めたのではないだろうか。
プーチンの開戦時の演説が、ドンバス急進派の主張によく似ている点は、松里公孝が指摘したとおりである(松里公孝「ドンバスの保護、ウクライナの脱ナチ化:露ウ戦争の目的と矛盾」『現代思想』2022年6月増刊)。
ただし、ドンバスの保護とウクライナのNATO加盟阻止の間にはトレードオフがある。ドンバスのみをロシアの軍事行動による保護の対象にしたら、ウクライナの残りの部分はNATO加盟に向けて(公式な加盟が難しくとも、協力関係の大幅な拡大に向けて)突き進むであろう。全面侵攻による傀儡政権の樹立は、軍事的困難さと非合理性はともかくとして、この矛盾を解消できる策ではある。
もし私の推測が当たっているとしたら、人民共和国がプーチンの意思決定に作用した側面があることになる。
人民共和国はクレムリンの庇護・指導を受けている点で傀儡国家といえる。しかし、満洲国の例を引くまでもなく、傀儡国家は常に本国の意図通りに動くわけではない。日本政府と満洲国を一体の主体とみなすと、日中戦争の拡大が理解できないのと同様に、ロシアとドンバスを単一の主体と考えると今次の戦争の理解が困難になる。
この点でも、ロシア・ウクライナ戦争は国際政治学の国家中心主義に疑問を投げかけているように私は考えている。
大串敦(Atsushi Ogushi)
慶應義塾大学法学部教授。2020年より現職。PhD in Politics。専門はロシア政治、ウクライナ政治。主な著作として、The Demise of the Soviet Communist Party (Routledge, 2008); "Weakened Machine Politics and the Consolidation of a Populist Regime? Contextualization of the 2016 Duma Election," Russian Politics, Vol. 2 No. 3 (2017); "The Opposition Bloc in Ukraine: A Clientelistic Party with Diminished Administrative Resources," Europe-Asia Studies, Vol. 72, No. 10 (2020) など。
特集「ウクライナ戦争──世界の視点から」
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