ではこのような変化をもたらしたものは何だったのか。ここで、もう一つの国家中心主義の問題点に思い当たる。国際政治学ではしばしば国家を単一の行為主体とみなすので、その意思決定の在り方も、単独の主体によって意思決定がなされているように描きがちだった。
ロシア、アメリカ、中国と国家の名前を主語にして国際関係を論じるのは普通である。もちろん、アリソンの古典的著作以来、国家の対外政策決定過程では、他国との相互作用はもとより、国家の内部でも多様なアクターが相互作用しながら最終的な意思決定がなされるので、結果としては常に合理的な決定がなされるわけではないことは受け入れられている。
ただし、ロシアの対外政策決定過程にはとりわけ不透明な部分が多く、客観的に議論することが困難な点が、この問題を論じない傾向に拍車をかけたかもしれない。
ここでは、プーチンの意思決定にはドンバスの状況が大きく関連していたと想定してみたい。十分な証拠はない推測を含んでいるが、ドネツクとルガンスクの人民共和国という国家といえるのかどうかよくわからない地域での状況が、モスクワの意思決定にかかわっていたとしたら、やはり国際政治学の国家中心主義に疑問を投げかけることになるのではないだろうか。
2014年のいわゆるユーロ・マイダン革命を契機として、ドンバスでは分離主義者の活動が活発化して、ドネツクとルガンスクに人民共和国を名乗る主体が誕生し、この「国家」の建設にロシアが深く関与したのはよく知られている通りである。
人民共和国がウクライナ政府軍の軍事的攻勢にさらされ敗北しかけた2014年8月末にロシア軍が介入し(ちなみに、ロシアは介入を否定している)、形勢が逆転した。軍事的にロシア・人民共和国側が攻勢の中、2015年2月にウクライナ、ロシア、人民共和国当事者の間でミンスク合意が結ばれた(いわゆるミンスク2)。
この合意によると、憲法改正を含んだ分権化をウクライナが行い、ドンバス地域に特別な地位を与えた上で選挙を行い、両地域をウクライナに再統合することになっていた。廣瀬論文も指摘している通り、ロシアとしては、ミンスク合意をウクライナに履行させ、ドンバス地域にウクライナのNATO加盟への拒否権を与えることを狙っていたといえるだろう。
とはいえ、ウクライナ政府も人民共和国側もこの合意を履行する気はあまりなかった。他方で、事実上の独立状態、いわゆる未承認国家となった両人民共和国は徐々に追い詰められていった。
経済的には、2017年以降、ウクライナ政府による経済封鎖で経済状況は悪化し、さらに2021年まで人民共和国内のウクライナ企業の外部管理を担当したクルチェンコの収奪的経営により、現地の経済情勢はさらに悪化した(服部倫卓「ロシアによるドンバス占領経営」『ロシアNIS調査月報』2022年12月)。
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