アステイオン

民俗学

庶民のコレクションが貴重な大衆文化のセーフティーネットに──浪曲史の編み直しに向けて

2023年01月04日(水)08時10分
真鍋昌賢(北九州市立大学文学部比較文化学科教授)

例えば、『芸一報』という刊行物があった。主筆は浪曲作家・本多哲(1885~1949、小倉生まれ)で、編集部は博多におかれていた。つまり、浪曲史の中心地である東京・大阪ではない場所に発信源があった。私自身わずか数冊しか現物を確認できていないのだが、1926年に創刊され、形態を変えながら1930年代半ばまでは続いたと思われる(図2・図3・図4)。


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左:図2 1927年11月号(福岡県立図書館所蔵)。「九州演芸黒白号」とある。この頃の『芸一報』には浪曲関連以外の記事が書かれることもあった。『芸一報』は現存資料が少なく、全貌としては不明な点がまだまだ多い。右:図4 1936年1月号(架蔵)。「オール浪曲読物号」。ともに筆者撮影

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図3 1935年1月号(架蔵)。1枚両面折りたたみ4頁。雑誌からこのような簡易的な形態に変更された時期もあったのだろう。この頃から九州にゆかりのある中川明徳(浪曲作家)も編集に加わっている。撮影:筆者

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