2015年6月、ニューヨークで行われた会議でのFRB元議長ポール・ボルカー Mike Segar-REUTERS
日本銀行に長く勤務して海外のセントラルバンカーとも多く知り合った。その中でも、1979年から1987年まで米国の中央銀行に当たるFRBの議長を務めたポール・ボルカーは忘れられない人物のひとりである。
1971年の金・ドル交換の停止と為替平価の多角的調整、ボルカー・ショックとも呼ばれる在任中に行ったインフレ抑制のための強力な金融引き締め、1980年代後半のラテンアメリカ諸国の累積債務問題、グローバル金融危機後に導入された銀行や証券会社の証券取引に関する「ボルカー・ルール」をはじめ、ボルカーは様々な重要な問題に関わってきた。
そのボルカーが亡くなる1年前の2018年末に出版した本が『ボルカー回顧録』(原題はKeeping At It)である。この本は回顧録にありがちな自己弁護や自己宣伝の匂いは微塵もなく、ボルカーの普段の物言いを聞くような感覚で、彼の人生や仕事に対する哲学が平易な言葉で語られている。
92歳で亡くなり70年近くをパブリックな仕事に取り組んだ彼の業績のすべてをこの小論で論じることは不可能であるが、ボルカーの名前を高からしめたのは、何と言っても彼の行った強力な金融引き締めなので、ここから話を始めたい。
特に、現在は時あたかもインフレ率が世界的に上昇し、ボルカーが闘った40年ほど前の高インフレの時代が再来するのかどうかという問題意識も高まっているので、当時と現在を比較するのはタイムリーかもしれない。
物価の状況をみると、本稿執筆時点(2022年8月)で判明している欧米諸国の消費者物価指数の前年比上昇率は10%に接近している。これは40年振りの高水準、つまり「ボルカーの時代」以来の高インフレである。
多くの中央銀行の当局者やエコノミストは僅か1年半ほど前までは専ら低インフレやデフレを懸念していた。そうした思いが強かったことも手伝って、当初の段階では物価上昇は一時的だとして静観していたが、その後急激な上昇に直面し、昨年末頃から金融政策を慌てて引き締め方向に転換している。
この間、日本でも状況は多少変化している。これまでは日本銀行の供給するおカネの量が著しく増えても物価はほとんど反応しなかったが、現在は海外の物価動向を受けて、上昇率の水準は欧米比ではかなり低いとはいえ、上昇に転じている。
『ボルカー回顧録』
ポール・A・ボルカー、クリスティン・ハーパー[著]
村井浩紀 [翻訳]
日本経済新聞出版[刊]
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