ニクソン政権は金融引き締めに反対し、これがバーンズの前述の苦悩の大きな原因でもあった。この点、ニクソンと比較してカーター大統領は偉かったと見るのか、あるいはインフレが余りにも進行し国民の中にも金融引き締めを許容する雰囲気が出てきて、それを背景に大統領も強力な金融引き締めを支持せざるを得なくなっていたのか、私には判断がつかないが、いずれにせよ、民主主義社会では中央銀行のマッチョ的な勇気だけでは物価安定は実現しない。
ボルカーは好調な経済パフォーマンスを中央銀行が自らの手柄のように語ることについても批判している。これは後年、「大いなる安定」と呼ばれた1990年代から2000年代半ばにかけての多くの先進国の良好なマクロ経済パフォーマンスについて、バーナンキをはじめ少なからぬ経済学者や中央銀行の当局者が中央銀行の金融政策を挙げたのと好対照をなしている。
興味深いことに、ボルカーの後任のFRB議長であり、「中央銀行の時代」の立役者として、時に「マエストロ」とも呼ばれたアラン・グリーンスパンもボルカーと同様、そうした見方とは一線を画している。
彼の回顧録(『波乱の時代』〔日本経済新聞出版社、2007年〕)の中で、上述のエコノミストの議論に言及した上で、「そうであればいい、と私は思う」とし、中央銀行万能論への懐疑論を述べている。多分、彼も内心では神格化されていくことに居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
ボルカーは退任後、FRBの金融政策について公の席でコメントすることは基本的に控えていたが、「中央銀行の時代」の風潮に対しては非常に批判的であり、特に晩年は批判のトーンを強めていった。
前述の自叙伝にはそれがストレートに書かれている。著書や講演の中から私が重要と考える中央銀行や金融を巡る政策哲学の幾つかを紹介したい。
第一は、「デフレとは金融システムの崩壊によって引き起こされる脅威である」(筆者訳、原書227頁)という認識である。
米国の大恐慌は金融システムが崩壊したことの結果、僅か数年のうちに物価が30%近くも下落した。そうした事態を防ぐ上で重要なのは中央銀行の最後の貸し手機能である。言い換えれば、低インフレないし緩やかな物価の下落を「デフレ」として大騒ぎする政策論を終始批判していた。
第二は中央銀行が金融システムの問題に十分目配りすることの重要性である。前述のヤコブソン記念講演では、「中央銀行が金融システムの構造やパフォーマンスに興味や影響力をなくすと、金融政策も金融システムの仕事もうまくいかなくなる」と述べている。
グローバル金融危機直前まで長くFRBの考査局長を務めたスピレンコーセンは退任後講演で、「金融規制監督セクションは二級市民の扱いであった」という趣旨の発言をしているが、グローバル金融危機は金融政策と金融規制監督の仕事を全く別個の問題と捉える中央銀行や学界の思考様式が生み出したという側面もあることを物語っているように思う。
第三は中央銀行の担う銀行実務の重要性である。中央銀行の役割は何かと言えば、根源的には中央銀行通貨という最も安全確実な決済手段を使ったサービスの提供である。
この点でもボルカーはFRB議長に就任する前のニューヨーク連邦準備銀行総裁の時代にある貢献をしている。ニューヨーク連銀と言えば米国の金融市場の中心地に位置していることから、中央銀行の実務の中心を担う重要な組織である。ボルカーはここで、後に同行の総裁となるジェラルド・コリガンを見出し登用した。
コリガンは本年5月に惜しくも亡くなったが、彼もまた我々の世代の少なからぬ中央銀行員に大きな影響を残した忘れ難いセントラルバンカーである。彼はそれまでは裏方仕事と見られていた決済の仕事を中央銀行の重要な仕事として位置付けたことで知られている。
Keeping At It
Paul A Volcke, Christine Harper
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