一方、他の国で大衆が元気なのは、彼らの不満が溜まりに溜まっている現れだろう。そもそも大衆は多くの人の集合である。不満爆発の影響度も数と連関する。
大衆は反逆し、論理なしに問題の即時解決を求め、根拠なくそれを約束するポピュリストの政治家を支持する。時に暴徒化し、既存の政権を倒し、しばしば強引で権威主義的な指導者を選ぶ。ヒトラーも大衆の支持によって権力を掌握した。
現在の世界でも同じようなことが起こる気配がある。スリランカで起きた大衆による政権転覆は、象徴的であった。
ところが今の日本では、物価高騰、食糧やエネルギーの不足で暴動が起こったりはしない。暴力で政権転覆を企てる勢力もいない。故国に絶望して国外に逃げ、難民となる日本人の例など、聞いたことがない。
政策の批判をしながらも、政府がマスクをした方がいいと言えば、みんなする。緊急事態宣言が発せられれば店を閉め、イベントの開催を取りやめる。むしろ政府の指導がないと対策を取りにくいと文句を言う。この国には反逆する大衆そのものが存在しない。
こうした日本独特の落ち着きは、現在の荒々しい世界で貴重である。ただ心配なのは、満足していなくても、人々が今の状態を当たり前のように思い、その先に何が待ち受けているか考えていないことである。政府も政治家も適切な少子化対策と経済政策による明るい未来を描くから、任せておけば何とかなるだろうと思っている。
国家の安全保障、経済、医療、教育、みなそうだ。無鉄砲な反逆はしないが、自主的に考えないという意味では、日本にもオルテガが描写した大衆がいる。
筆者が話を聴いたイェールの経済学者が言うとおり、人口減少が避けられずとも、この国がその伝統を保ちながら優美に衰え、安定を保ち、諸外国から尊敬を受け続けるならば、素晴らしい。
しかし人も国も、老いれば失うものが多い。日頃慣れ親しんだ当たり前の景色が、祖先から継いだ伝統や習慣が消える。東京のオフィスビルや通勤電車でさえ、閑散とする日が来るかもしれない。
vol.101
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